27回演奏会の練習を重ねてくると、どの作曲家の作品にもメシアンの影が浮かび上がってくるのが解ってきました。オリビエ・メシアン(Olivier Messiaen, 1908-1992)については、彼がパリ音楽院時代に作曲した『忘れられた捧げもの』(1930)を演奏したことがあります(新響161回定期、1998年)。『トゥランガリラ交響曲』(1948)は1962年に小澤征爾・N響により日本初演されましたが、その折の来日に先立ってメシアンが別宮貞雄あてに送った手紙が、日本近代音楽館展示会の図録に載っていました。それを見るとメシアンが日本の作曲家の多くと交流していたことがうかがえます。
『五線譜に描いた夢』目次 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20140612/1402576851
山田一雄先生の『一音百態』にも、メシアンとの交流が書かれています。1978年「山田一雄の世界」第2夜でメシアン『七つの俳諧』を演奏した折の、メシアン夫妻との記念写真も載っていました。山田先生の没後10年演奏会のプログラムには、イヴォンヌ・ロリオ夫人からのメッセージを頂戴したのもなつかしく思い出されます(新響173回、2001)。
山田一雄『一音百態』http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20100814/1281775750
『山田一雄没後10年 : 山田和男 おほむたから』(参考文献:演奏会プログラム)http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20100512/1273665559