ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

畑中良輔「山田一雄とその作品」(2)

 音楽之友社の「日本歌曲全集」(2)に掲載の解説から抜粋です

山田一雄とその作品(2) 畑中良輔
(前略)
 作曲の上ではプリングスハイム教授のクラスで主に後期ロマン派の音楽、ことにマーラーについての技法、オーケストレーションを学び、指揮技法についてはローゼンシュトックの厳格な指導を受けたことが、後年指揮者として、マーラースペシャリストたり得た要素となっている。
 この2人の影響の下に、山田一雄の音楽活動の出発があったとはいえ、かたや橋本国彦たちの新しい時代の感覚を先取りした作品は、山田にとって最も近しい存在であった。思考的には後期ドイツ・ロマン派の波を頭からかぶりながら、感覚としては近代フランスの作曲家たちの作品に惹かれていったのである。
 山田一雄の歌曲すべてに流れるもの、その共通項として、<ラテン的明晰さ>が挙げられよう。彼が、指揮という再現芸術のジャンルにおいては、ドイツ的なるものが圧倒的にその量を占めているのだが、創造面にあっては、その志向する世界が正反対の方を示しているのが興味深い。
 この<ラテン的明晰>は、すでに『コクトオ・三題』に明らかである。そこにはドイツ的重厚さはない。感覚の上での先鋭な精神の目覚めが、みずみずしいかたちで、コクトオの詩をとらえている。橋本国彦が、ドビュッシーラヴェルたちから学びとった音感覚と、ドイツ機能和声への反旗の精神がよみとられる。機能主義、言葉をかえていえば権威主義への反発は、山田一雄の意識のどこかに潜在していたはずである。橋本国彦の「時代を先取り」する精神は、山田一雄の中に生きていたといわねばならない。
 精神面はさておいても、現象面として、山田一雄の歌曲の新鮮さは、全く魅力にあふれたものであった。今までに最も演奏され、また聴衆から好まれた歌曲は《もう直き春になるだろう》であるが、リズムの新しさ、詩の扱い方の独創的なやり方は、さらに新しい歌曲の作曲技法を提示したのである。
(後略)

出典:日本歌曲全集16 山田一雄II (音楽之友社、1994)
内容はこちら:http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20111012/1318418272