岩野裕一『王道楽土の交響楽 : 満州―知られざる音楽史』(音楽之友社、1999)
目次(その1)
序章 朝比奈隆・50年ぶりのハルビン行
第1章 音楽の都ができるまで
室生犀星が聴いた「オーケストラ」
帝政ロシアの極東進出
「東清鉄道交響楽団」の誕生
帝政ロシアとユダヤ人
極東の地に一流の音楽をもたらしたロシア革命
日本における白系ロシア人音楽家の活躍と山田耕作
ハルビンからのオーケストラ招聘
「日露交歓交響管弦楽演奏会」の衝撃
北海道より更に北にある満州の、長春のまた北の都市ハルビン。19世紀末にロシアの鉄道建設の拠点として築かれたこの街には、ロシア革命前後にモスクワから多くのユダヤ人や白系ロシア人が逃れてきました。そして超一流の奏者によるオーケストラが結成されたのです。山田耕作と近衛秀麿はこのオーケストラのメンバーを1925年(大正14)日本に招き、歌舞伎座を始め全国で日本人奏者と合同の「日露交歓交響管弦楽演奏会」を開催しました。その演奏を聴いて衝撃を受けた多くの日本人の一人に、朝比奈隆(1908-2001)がいました。
(ブログ子註:1925年といえば深井史郎18歳、朝比奈隆17歳、伊福部昭12歳、芥川也寸志は生れた年です。なお山田耕作(1866-1965)は1930年に「耕作」から「耕筰」に改名したそうで、そういうエピソードもこの本にはたくさん載っています。)