ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

糀場富美子『未風化の7つの横顔』と『広島レクイエム』

糀場富美子『広島レクイエム』終結部、最下段がアンティークシンバル

作曲家糀場富美子についての情報は、音楽事典やCDの解説などわずかなものしかありませんでした。それによると1952年広島生まれで、芸大大学院修了後の1979年、弦楽合奏のための『広島レクイエム』を作曲。この曲はバーンスタイン小澤征爾始め多くの演奏家により世界各国で演奏されています。今回ニッポニカで演奏する『未風化の7つの横顔』も、原爆の悲惨さを風化させまいとの思いで2005年に作曲された作品です。その年に別宮賞と芥川作曲賞を受賞。

その糀場が登場する2005年の雑誌記事を見つけました。広島出身の医師で作曲もする原田康夫氏が糀場にインタビューしたもので、「原田康夫のオー・ペラペラ対談(第26幕)ゲスト 作曲家・東京音楽大学教授 東京藝術大学講師 糀場富美子 広島レクイエム誕生秘話、バーンスタインが認めた作曲家」というにぎやかなタイトル。『ビジネス界』という広島の出版社の雑誌なので身近な図書館には無く、国会図書館まで出かけて読んできました。

その記事によると、糀場は3歳からピアノを習い始め、小学校にあがると戸田繁子の音楽教室に通うようになりました。糀場は戸田からソルフェージュ、即興演奏、さらに和声学の基本を習い、音楽の才能をどんどん開花させていったのでした。初めてオーケストラの曲を書いたのは芸大3年生の時で、それを芸大オーケストラが演奏したのを聴き、鳥肌が立つほど感激したそうです。それ以来作曲がやみつきになり、器楽だけでなく声楽曲もいろいろ書くようになりました。筆を折らずに書き続けたことで現在がある、と述懐しています。はじけるような笑顔の写真からは、音楽を全身で楽しんでいる姿勢が伝わりました。

恩師の戸田について調べると、島根県出身で1908年生まれ、戦前に東京音楽学校を出て高校教師となり、1958年に退職後、広島市音楽教室を開いていました。糀場より若い教え子には指揮者の大植英次がおり、『広島レクイエム』は大植が初演しています。バーンスタインから音楽の師を尋ねられた大植が広島の戸田のことを伝えると、バーンスタインはびっくりして来日時に戸田に会い、「あなたは偉大な音楽教師だ」と言ったそうです。

『広島レクイエム』のCD解説には、「20年後に書いた『未風化の7つの横顔』では、この曲の祈りのモチーフである三度下降の旋律を用いており、終曲部分の4回鳴る祈りのアンティークシンバルの響きも、ピアノとチューブラベルで『広島レクイエム』を踏襲した形で表現している」とありました。そこで国会図書館の蔵書になっている『広島レクイエム』の楽譜を閲覧したところ、確かに曲の最後にアンティークシンバルが4回鳴らされます(写真)。弦楽合奏曲ですが最後はヴァイオリンとチェロだけが弾いているので、アンティークシンバルはおそらくコントラバス奏者の誰かが鳴らすのでしょう。

『未風化の7つの横顔』のスコアを見ると、曲の冒頭ではピアノとチューブラベルが三度の下降旋律を少しずれながら奏でます。そして曲の最後でもこの2つの楽器にヴィブラフォンとヴァイオリンが加わり、やはり少しずれながら4回和音を鳴らします。この「祈りのモチーフ」をぜひ聴きとっていただきたいと思います。

■参考資料