ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

唯是震一『続・私の半生記』:入学試験

 3月に入ってすぐ入学試験が行われました。当日は山田流受験生の演奏が終るまで控え室で待機していました。同室の受験生にそれとなく聞くと、課題曲5曲のうち1曲好きなものを弾けばよいこと、他の受験生はみな宮城道雄門下生らしいことがわかりました。好きな曲であれば「千鳥の曲」ですが、それが一番が多いらしかったので「春の曲」にしようと思いました。そして震一の番になりました。

…三人の試験委員は中央に宮城道雄先生、向って左側が中能島欣一先生、右端が牧瀬喜代子先生であった。牧瀬先生は無論、現在の宮城喜代子女史である。『何の曲を弾きますか』と問われ、ちょっと面喰った。私は少し間をおいて『春の曲に致します』と応えた。
(中略)
…試験委員からは特別にどの部分からとの指示はなかったので、前弾きから演奏を始めた。“鶯の谷より出づる声なくば 春の心はのどけからまし”の一歌を終えたところで、『はい、よろしい』の声がかかった。
 突然、牧瀬先生が立ち上がり、『どこで学ばれましたか』とお尋ねになった。『手ほどきは母からで、あとは殆ど独学です。』と答えた。

 この一次試験に通り、数日後の身体検査・実技・学科の二次試験に臨みました。

…身体検査では耳の検査に重点がおかれていて、医学と音楽の両面からテストされた。医学的にも聴力と疾病の有無を入念に診察し、音楽的にはスピーカーから流れてくる音長、音高、リズムと旋律に関する正誤を判定し、与えられたペーパーに○印を付ける要領で行われた。実技は第一次と同様に課題曲の中から前回と異なる曲を一曲、自由に選択し、演奏する方法だった。私は乱輪説を弾いた。学科は他科(洋楽の諸科)とは異って、音楽科目としては楽典を全科共通試験として受けるだけで、聴音(旋律や和音の書き取り)もピアノも試験科目になかった。一般学科としては外国語、国語、歴史が共通科目であった。私は外国語は英語、歴史は日本史を選んだ。

引用:唯是震一『神仙調舞曲:続 私の半生記』(砂子屋書房、1988)p22-26より