岩野裕一『王道楽土の交響楽 : 満州―知られざる音楽史』(音楽之友社、1999)目次(その6)です。(その5)はこちら。
第6章 建国10周年
建国10周年記念行事の幕開け
「新京音楽団」の創設と村松の解任
甘粕正彦のテコ入れ始まる
哈響と李香蘭の北支演奏旅行
東京音楽学校の満州演奏旅行
山田耕筰と「満州国建国10周年慶祝交響楽団」
新国歌の制定
日独伊からの献呈曲演奏
ロシアから日本へ、日本から満州へ
1942年の満州は日本軍の緒戦勝利と建国10年という祝賀ムードに包まれていました。新京音楽院は新京音楽団に改組され、日本から優秀な指揮者・作曲家・楽員の補給がはかられました。東京音楽学校の満州演奏旅行が行われる一方で、山田耕筰と共に満州建国10周年慶祝交響楽団が渡満し、新京音楽団と合同オーケストラを組織して各地で演奏家を開きました。この時渡満したメンバー表には、黒柳守綱、齋藤秀雄、上田仁などの名前がみられます。また一行がヨゼフ・ケーニヒの墓参りを行った記念写真も掲載されています。ケーニヒは1925年に来日し多くの日本人奏者を育てた後、再び満州に戻りハルビンで1932年に亡くなったのでした。