ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

『王道楽土の交響楽』目次・その8(最終回)

岩野裕一『王道楽土の交響楽 : 満州―知られざる音楽史』(音楽之友社、1999)目次(その8)です。(その7)はこちら

第8章 オーケストラは国境を越えた
   朝比奈の蟄居、林のデビュー
   「ハルビン国民党楽団」と中国人の音楽家群像
   混乱の中で―大塚淳の死と、スタウロフスキーとの別離
   白系ロシア人楽家たちの戦後
   中国のオーケストラ建設
   楽譜をめぐる「物語」


あとがき
主要参考文献
関連略年表
取材協力者/写真・資料提供および所蔵

敗戦でハルビン響を去った朝比奈は朝鮮人音楽青年の林元植の元に隠れ、林は朝比奈の指導を受け指揮者としてデビューしました。このほかハルビン響や新京響の残した人材や楽譜は、その後の中国や朝鮮の音楽界の発展に少なからぬ役割を果たしていました。奉天生れの指揮者小澤征爾が1978年に訪中し、中国中央楽団で演奏したブラームス交響曲第2番の楽譜には、「新京交響楽団」の所蔵印があったそうです。そしてハルビン響で使われていた楽譜をめぐっての「物語」で、この本は終わっています。
(ブログ子のコメント:この本の何より圧倒されるところは、著者の綿密な取材に裏付けられた文章にあります。満州国が存在していた当時の新聞を縦横に読み込み、日本はもとより海外の関係者へも直接インタビューを重ね、重要な証言の数々を引き出しています。巻末の膨大な参考文献リストと数多くの取材協力者名リストがそれを証明しています。そしてこの本の執筆を支えたのが、「あとがき」にある「ハルビンの、そして満州のオーケストラ興亡史を、失われる前にまず記録しておくこと、そして彼の地と日本との音楽的な交流を、20世紀の近代史のなかの大きな<流れ>としてとらえること」という、朝比奈氏からだされた「宿題」に応えようとした心意気でした。最初に読んだ時と同様に、今回も読み終えたときに、眼鏡が曇りました。この本を出した時に著者は35歳の若さであったことにも改めて驚きました。)