ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

『王道楽土の交響楽』目次・その5

岩野裕一『王道楽土の交響楽 : 満州―知られざる音楽史』(音楽之友社、1999)目次(その5)です。(その4)はこちら

第5章 国家体制のただ中へ
   両楽団の活躍と合同演奏会
   広がるオーケストラの演奏活動
   満州国の文化行政と「芸文指導要綱」
   新京音楽院楽員養成所
   新事務長・村松道彌の苦闘
   第100回定期を迎えた哈響
   大東亜戦争の開戦

白系ロシア人を中心としたハルビン交響楽団と日本人を中心とした新京音楽院管弦楽部(新京交響楽団)は、それぞれ定期演奏会や演奏旅行など年間300回ほどの活発な演奏活動を続けていました。また1940年から開催した合同演奏会は満州における音楽の恒例行事になりました。音楽ジャーナリストとして活動していた村松道彌は、1940年5月に新京音楽院から招聘され満州各地を訪ね音楽の発展策の推進を唱えた結果、演奏の質の低下が懸念されていた新京音楽院の事務長に就任しました。一方ハルビン交響楽団は1941年の記念すべき第100回演奏会にベートーヴェンの第九を演奏し好評を博しましたが、演奏水準には問題がありました。12月8日に大東亜戦争が開戦し、米英系音楽の演奏が中止されました。
(ブログ子註:1940年の村松道彌の渡満に同行したのが、作曲家深井史郎でした。深井はこの後『大陸の歌』を作曲し、翌年2月大塚淳指揮の新京音楽院管弦楽部により初演されています。)