ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

藤倉大『どうしてこうなっちゃったか』を読む

藤倉大『どうしてこうなっちゃったか』

作曲家藤倉大(1977-)が幻冬舎の雑誌『小説幻冬』に2019年5月から2021年7月にかけて連載した「どうしてこうなっちゃったか:早すぎる自伝」に加筆し、同社から単行本として出版したもの。以下、各章の主な内容。ニッポニカで演奏する『トカール・イ・ルチャール』については、第23章と第24章に出てきます。

どうしてこうなっちゃったか : too early for an autobiography / 藤倉大
幻冬舎 2022年1月. 446p

序章 最初から作曲家だった
大阪に生まれ、幼稚園でピアノを習い始め、小学校で好きな曲を作り始め、中学で作曲を習い始める。

第1章 何用あって、ドーヴァーへ!?
イギリスのドーヴァーにある高校へ進学した経緯。

第2章 ビジネスはビジネス!
高校での寮生活の始まり。

第3章 「指くるくる+5」の罰
寮生活の続き。

第4章 「音楽と、(多分)セックス」の真相
高校での音楽生活と、それで得た特権について。

第5章 邪魔な絶対音感、その生涯唯一の恩恵
ドーヴァー海峡のフェリーにあるマクドナルドでのアルバイトの話。

第6章 Aレベルと、あっけない大学受験
イギリスの大学受験制度と、トリニティ音楽大学受験の経緯。

第7章 大学入学と、師ダリルとの出会い
ロンドンへ引っ越して部屋を借り、大学生活を始め、作曲はダリル・ランズウィックに師事。ダリルは元々はベース弾きでジャズの演奏もしていた。ポップミュージックのアレンジもやり、ジョン・ケージとも知り合いだった。

第8章 初日「君はもう来なくていい」と
音大の授業には失望したものもあり、その教師から来なくていいと言われたりした。しかし現代音楽に詳しい先生の魅力的な授業もあった。

第9章 ホット・トラックな日々……ダリルの白熱教室
ダリルは映画音楽、ジャズ、即興音楽、実験音楽など作曲していたので、クラスの学生も様々なタイプがいて、いつも喧々諤々の論争になった。ダリルはまたベリオの『シンフォニア』の声楽パートにも出演していたので、そうした作品の講義もあった。もっとも当時の自分はジャズも即興音楽も興味を持てなかったが、ダリルは気にせず評価してくれた。

第10章 20歳、国際作曲コンクール優勝のあとさき
大学では同級生の依頼に応じてたくさんの曲を作った。1、2年のころはペンデレツキルトスワウスキに憧れて曲を作り、ペンデレツキが審査員だったセロツキ国際作曲コンクールにオーケストラ曲『チルドレン』で応募、優勝した。その後各地のコンクールに優勝するようになり、大学でも一目置かれるようになった。

第11章 ボーイ・ミーツ・ガール
ブルガリアからのチェロ専攻留学生ミレナと知り合い、つきあうようになる。

第12章 善は急げの超スピード婚
ミレナと共にイギリスに滞在し続ける最も適した方法が結婚と知り、実行。

第13章 卒業試験はオペラの上演で
卒業作品はオペラと決めたが、脚本、会場、歌手と奏者、打楽器手配、もう1曲やるベリオの楽譜レンタル料など、初めて知った多くの困難を乗り越えて本番をやった。

第14章 奨学金はゼロいくつで?
ロンドンの王立音楽院王立音楽大学の両方の大学院に願書を出し、奨学金を全額出してくれる王立音楽大学に行くことに。

第15章 瞑想? 迷走! 冴えない大学院時代
王立音楽大学大学院でエドウィン・ロックスバラに師事。エドウィンブーレーズを崇拝し、電子音楽の曲も作る。オーボエ奏者でもあり、よく響くオーケストラ作品を作っていた。
このころは生活に追われ子どもにピアノを教えるアルバイトなどで糊口をしのぎ、写譜もやった。時間を惜しんで作曲した。

第16章 なにも知らずに邦楽器の曲を手がけた
笙、箏、三味線の曲を作曲。西洋楽器との違いに驚く。

第17章 どうせ演奏されない曲なんだから
オーケストラの曲は書いても演奏される機会はまれなので、好きに書いてみたのが『ティンブクトゥを夢見て』。客席も使ってオーケストラ奏者を配置し、聴衆は音の響きに包まれる効果をねらった。その後キングス大学博士課程に合格しジョージ・ベンジャミンに師事することになる。

第18章 2003年、僕の東京物語
『ティンブクトゥを夢見て』が2003年の武満徹作曲賞最終選考に残り、東京へ出向いてオペラシティで下野竜也指揮東フィルのリハーサル、本番を体験。結果は2位だったが多くの出会いがあった。

第19章 一体あなたは誰なんでしょう?
新鮮な作風にひかれていたハンガリーの作曲家ペーテル・エトヴェシュのレッスンを受けられることになり、本人とメールを交わした。するとその後、ベルリン芸術アカデミールツェルン音楽祭アンサンブル・アンテルコンタンポランクラングフォルム・ウィーンなど、全く縁のない団体から楽譜と録音を送ってほしいと次々コンタクトがあった。皆エトヴェシュの紹介で、おかげで一気に活動が広がった。

第20章 憧れの人、理想の師、伝説の人
8か月後に初めてエトヴェシュに会い、楽譜を見ながら重要なアドバイスを受ける。ロンドンでの恩師ベンジャミンのレッスンと人柄の話。ルツェルン音楽祭では憧れのブーレーズに初めて会い、ここでも楽譜を見ながらアドバイスを受けることができた。

第21章 ブーレーズ魔法の言葉
2005年のルツェルン音楽祭でブーレーズ指揮により作品『ストリーム・ステート』が演奏されることになり、2004年春にパリのIRCAMブーレーズのレッスンを受け、その秋のルツェルン音楽祭で試演が行われた。ブーレーズのアドバイスを参考に曲を練り直し、2005年の同音楽祭で初演。その時もブーレーズは的確な言葉で奏者に指示を出し、大成功だった。KAJIMOTO佐藤正治氏と知り合い、2005年にKAJIMOTOと契約。同時期にリコルディとも出版契約を結ぶ。

第22章 寒すぎる10月と、僕の親密な彼女たち
2005年10月にドナウエッシンゲン音楽祭で委嘱新作『ヴァスト・オーシャン』初演に立ち会う。指揮はエトヴェシュ。ドーヴァーの高校同級生ソニアと妹が聴きに来てくれた。
シカゴ交響楽団での作品演奏を聴きにアメリカへ行った話と、フルート奏者クレア・チェイス、そこからどんどん広がる世界。

第23章 「情熱大陸」の情熱と、山田和樹君とのシンクロニシティ
ピアノ協奏曲『アンペール』は2009年2月名古屋で日本初演。その時TV「情熱大陸」の三木哲氏から番組制作の提案を受ける。ヴィオラ電子音楽『プリズム・スペクトラ』の準備段階からカメラが回り、ブーレーズのために書いた『ミラーズ』が2010年1月シカゴ響チェロ奏者により初演されるまで、密着取材された。番組は翌2月に放映。
2009年に芥川作曲賞を受賞し、その2年後に初演する作品を委嘱される。その曲をベネズエラの指揮者ドゥダメルに献呈するのをKAJIMOTOの佐藤氏が提案し、実現することになる。

第24章 外出禁止令と仕事禁止令
2011年2月に、ドゥダメルベネズエラの音楽教育システムエル・システマの創設者アブレウ博士に献呈した新曲『トカール・イ・ルチャール』の初演でベネズエラを訪問。曲名はエル・システマのモットー「Play and Fight = 奏でよ、そして闘え」をそのまま使った。各地の音楽学校を回りエル・システマの実態を見学するが、治安の悪さを回避するため市街へは一歩もでられなかった。初演でドゥダメルは曲の難所を見事にこなし、演奏は大成功。
ミレナが妊娠し、8月予定の出産に立ち会うため、9月の『トカール・イ・ルチャール』日本初演には行けなかった。

第25章 2人のマイ・グレイト・ヒーローズ
中学の時から憧れていたイギリスのミュージシャン、デヴィッド・シルヴィアンと出会うことができ、いっしょにアルバムをリリースした。そのデヴィッドの紹介で、同じく中学から憧れていた坂本龍一とも出会うことができ、親しく交際するようになった。

第26章 宙ぶらりんと無収入はオペラより劇的!?
オペラ『ソラリス』と『黄金虫』作曲物語。

第27章 アルマゲドンの過ごし方
2016年のラ・フォル・ジュルネのプロデュース、2017年『蜜蜂と遠雷』の映画音楽作曲の話、そして2020年コロナ禍中に新国立劇場で初演したオペラ『アルマゲドンの夢』。山田和樹の提案から作曲した、リモート演奏できる作品『ロンギング・フロム・アファー』。

最終章 家族樹の小枝
自身の祖父母のこと。

あとがき

  • 幻冬舎:どうしてこうなっちゃったか 

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