新ウィーン楽派と呼ばれるシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの年表を、ルネ・レイボヴィッツ『シェーンベルクとその楽派』の記述から作成してみました。ベルクとウェーベルンがシェーンベルクに師事していたのは、共に1904年から1910年の時期です。シェーンベルクは1933年にアメリカに亡命し、弟子たちよりも長生きしました。
西暦 | A.シェーンベルク | A.ベルク | A.ウェーベルン |
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1874 | ウィーン生。両親はユダヤ人 | ||
1883 | ウィーン生。 | ||
1885 | ウィーン生。 | ||
1886 | Vnを学ぶ。 | ||
1897 | ツェムリンスキーに学び弦楽四重奏曲を書く。 | ||
1898 | 歌曲を多く書く。 | ||
1899 | 弦楽6重奏曲「浄夜」 | ||
1900 | 「グレの歌」に取り掛かる。 | ||
1901 | ツェムリンスキーの妹マチルデと結婚。 | ||
1902 | 「ペレアスとメリザンド」 | ウィーン大学で音楽学の博士号。 | |
1904 | シェーンベルクに作曲を師事。 | シェーンベルクに作曲を師事。 | |
1906 | 「室内交響曲」 | ||
1907 | 「弦楽四重奏曲第2番」調性放棄。 | ||
1908 | 「ゲオルゲ歌曲集」 | 「Pfソナタ」 | 「管弦楽のためのパッサカリア」 |
1909 | モノドラマ「期待」 | 「4つの歌曲」調性~調性停止。 | 弦楽四重奏の「5楽章」「管弦楽の6つの小品」 |
1910 | 「弦楽四重奏曲」。ヴェデキントを知りマーラーと出会う。 | VnとPfの「4つの小品」 | |
1911 | 「グレの歌」 | 結婚。 | |
1912 | 「月に憑かれたピエロ」 | 「5つの管弦楽付歌曲」 | |
1913 | 「4つの歌曲」~1916 | 「ClとPfの4曲」 | |
1914 | 「3つの管弦楽曲」 | ||
1915 | 従軍1。 | 従軍~1918。 | |
1917 | 従軍2。作曲ゼミナール~1920 | 「ヴォツェック」台本完成。 | |
1920 | 「ヴォツェック」 | ||
1921 | 「5つのピアノ曲」最初の12音作品。(~1923) | ||
1922 | 「5つの宗教歌」伝統的対位法。 | ||
1923 | 「5つのカノン」伝統的対位法。 | ||
1924 | 「3つの宗教的民謡」以降全て12音作品。 | ||
1925 | 「4つの混声合唱曲」「3つの譚詩」。ベルリン芸術アカデミー教授~1933。 | 「室内協奏曲」 | 「3つの歌曲」 |
1926 | 「抒情組曲」12音作品。 | ||
1927 | 「弦楽三重奏曲」 | ||
1928 | 「管弦楽の変奏曲」12音の一つの頂点。 | 「ルル」~未完。 | 「交響曲」ウェーベルンの独創性。 |
1929 | オペラ「今日から明日まで」 | アリア「ぶどう酒」12音作品。 | |
1930 | 「6つの無伴奏男声合唱曲」調性への帰還。 | ||
1933 | ユダヤ教に改宗。アメリカ亡命。 | ||
1935 | カリフォルニアに移住。 | 「Vn協奏曲」。ウィーンで没。(50歳) | 合唱と管弦楽「眼の光」 |
1936 | 「Vn協奏曲」「弦楽四重奏曲第4番」12音の頂点2。 | 「Pfのための変奏曲」 | |
1938 | 「コル・ニドレ」 | 「弦楽四重奏曲」 | |
1940 | アメリカ市民となる。「第二室内交響曲」調性的作品。 | ||
1941 | 「オルガンの変奏曲」調性的作品。 | ||
1942 | 「ナポレオン・ボナパルトへのオード」「Pf協奏曲」12音作品。 | ||
1943 | 「管楽のための変奏曲」調性的作品。 | ||
1945 | ザルツブルク近郊で没。(61歳) | ||
1946 | 「弦楽三重奏曲」 | ||
1951 | ロサンゼルスで没。(76歳) |
参考:ルネ・レイボヴィッツ『シェーンベルクとその楽派』入野義朗訳、音楽之友社、1965