ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

三島由紀夫『綾の鼓』と山崎正和『世阿弥』

 能の『綾鼓(あやのつづみ)』について調べて行くと、このテーマに因んだ文学作品がいろいろ作られていることがわかりました。そのひとつが三島由紀夫の戯曲『綾の鼓』です。舞台を現代に移した作品のあらすじを載せておきます。
 また小杉太一郎『綾の太鼓』が作曲初演されたのは、江口隆哉舞踊団1963年11月の公演でした。この年は世阿弥生誕600年の記念の年で、能楽界では様々な行事が行われたそうですが、文学でも山崎正和の戯曲『世阿彌』が発表されています。この作品にも能「綾鼓」が取り入れられているので、その部分の概要を紹介します。

三島由紀夫『綾の鼓』

  • 初出:『中央公論 文芸特集』1951年1月、初演:1952年
  • [主な登場人物] 岩吉(老小使)、加代子(事務員)、洋装店のマダム、華子(洋装店の客)
  • 舞台:ビルの3階の法律事務所、向かいのビル3階の洋装店
  • 時:春。夕方

あらすじ:

 法律事務所の老小使・岩吉は、向かいの洋装店に来る客の華子の姿を見て恋い焦がれ、ラブレターを書き、70通は破棄したが30通は女事務員の加代子に洋装店へ届けてもらう。華子は岩吉をからかおうと綾の鼓を届け、それを打った音が聞こえればまた姿を見せると伝える。岩吉は喜んで鼓を打つが、音は出ず、窓から身を投げ自殺してしまう。
 一週間後の深夜、マダムから鍵をスリとって洋装店に来た華子は、窓から法律事務所に呼びかけると、岩吉の亡霊が現われ、鼓を再び打つ。鼓は鳴るが、華子は聞こえないと言い、亡霊は鼓を100回打った後、消える。華子は「あたくしにもきこえたのに、あと一つ打ちさえすれば」と夢うつつに言う。

山崎正和『世阿彌』

  • 初演:1963年9月俳優座、初出:『文藝』1963年10月号
  • 時:応永15年4月から永享4年8月(1408-1482)、世阿彌46歳から70歳
  • 所:洛中。鹿苑院(ろくおんいん、足利義満)の外庭と、世阿彌の居宅、及び街路
  • 主な人物:世阿彌元清、足利義満鹿苑院)三代将軍(声のみ)、葛野の前(義満の側室、世阿彌の恋人)

第一幕 応永15年4月 鹿苑院の外庭

 将軍足利義満邸での天覧猿楽を終えて出てきた世阿彌は、義満の側室葛野の前が不在であったので、外庭でもう一度舞うことにする。そこへ葛野の前が登場し、綾の鼓を世阿彌に渡して、これが鳴れば自分はお前のもの、と言う。世阿彌は鼓を打つが、もちろん鳴らない。しかし葛野の前は「鳴った」と言う。そこへ「もう一度打て」という義満の声が響く。世阿彌が再び打つと、鼓はとうとうと鳴る。


義満の声「みごとであった。葛野の前はその方のものだ。つれて行け。」
世阿彌「いいえ、恐れながら断じて鳴ってはをりません。」
義満の声「うつけ者奴。思ひあがりも大抵にせい。鳴るも鳴らぬもその方ずれにわかることか。世阿彌の芸などと人は言うが、所詮はこの鹿苑院の光の影じゃ」


家来たちは「鳴りました」と言うが、世阿彌と彼を慕う白拍子は「鳴っていない」と言う。

第二幕以下略