ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

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芳賀直子『バレエ・リュス その魅力の全て』

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芳賀直子『バレエ・リュス その魅力のすべて』
 1909年から1929年まで存在した「バレエ・リュス」について、全体像と個々の作品、関わった人々、解散後の歩み、など多面的なアプローチで紹介した著作。ディアギレフの誕生からバレエ・リュス解散までの詳細な年譜、14ページにわたる主要参考文献、人名と作品名の索引付。著者はバレエ・リュス、バレエ・スエドワを専門とする舞踊研究家。

バレエ・リュス その魅力の全て / 芳賀直子

国書刊行会、2009年9月
409, 19, xiv, 7p ; 22cm
目次:
バレエ・リュス ダンサー・アルバム …巻頭

第1章 バレエ・リュス:奇跡のバレエ団 …9

  バレエ・リュス=「ロシア・バレエ団」/正式名称をもたないツアリング・カンパニー/ロシアで公演したことのないロシア・バレエ団/西欧で愛されたバレエ団―パリ、ロンドン、モナコ/ディアギレフという中心/バレエ・リュスの結成まで/オリエンタルからアヴァンギャルドまで/バレエ・リュスを支えた人々/バレエ・リュスのライバル達/恋人の変化=作風の変化/ディアギレフの死とバレエ・リュス解散

第2章 天才を集める天才:セルジュ・ディアギレフ …53

  1909年、結成までの歩みを追って/生い立ち-幼少期から大学でのブノワとの出会い、バレエとの出会い/グランドツアーからロシアでの活動-展覧会主催、『芸術世界』創刊/ロシア帝室劇場特別任務要員に、そしてバレエ《シルヴィア》の失敗/活動は西欧、パリへ―ロシア美術展、ロシア音楽祭、そしてオペラ《ボリス・ゴドゥノフ》/バレエ・リュス活動中のプライベート-ホテル住まいとヴァカンスと交友録/ディアギレフの魅力と限界

第3章 スターたち・振付師たち …89

  変化の時代に/スターたち・振付家たち:ミハイル・フォーキン、ワツラフ・ニジンスキー、レオニード・マシーン、アントン・ドーリン、セルジュ・リファール、ブロニスラワ・ニジンスカ、ジョルジュ・バランシン

第4章 全作品紹介 …145

  全作品を、作品傾向ごとに/ロシア帝室バレエの伝統:饗宴、白鳥の湖、蝶々、眠れる森の美女、ジゼル/ロシアを描く:ポロヴェツ人の踊り、火の鳥サドコペトルーシュカ、金鶏、真夜中の太陽、キキモラ、ロシア物語、道化師、狐、結婚、禿山の一夜、鋼鉄の歩み、オード/革新的な作品:レ・シルフィード、薔薇の精、牧神の午後、遊戯、春の祭典ティル・オイレンシュピーゲル「オリエンタル」な作品クレオパトラシェエラザード、レ・オリエンタル、青い神、タマール、ラス・メニナス、三角帽子、ナイチンゲールの歌、クァドロ・フラメンコ/ギリシャ神話作品:ナルシス、ダフニスとクロエ、ミダス、ゼフィールとフロール、ミューズを導くアポロ、物乞う神々/イタリアを舞台にしたバレエ:ル・カルナヴァル、上機嫌な婦人たち、風変わりな店、プルチネッラ、女のたくらみ/バレエを逸脱した「バレエ」:花火、パラード/聖書を題材にサロメの悲劇、ヨセフ物語、放蕩息子/フランス風バレエ:アルミ―ドの館、女羊飼いの誘惑、牝鹿、うるさがた、青列車/コンテンポラリーダンス的魅力:船乗りたち、バラボー、ロミオとジュリエットネプチューンの勝利、牝猫、メルキュール、舞踏会/アメリカがバレエに:パストラル、びっくり箱

第5章 美術家たち・音楽家たち …305

  音楽家たち―幕間の音楽さえ初演だった、その豪華さ/ロシアの作曲家たち/ディアギレフの息子たち:イーゴリ・ストラヴィンスキー-第一の息子、セルゲイ・プロコフィエフ-第二の息子、ウラジーミル・デュケルスキー(ヴァ―ノン・デューク)-第三の息子、イーゴリ・マルケヴィチ-最後の息子/フランスの作曲家たち/六人組-メンバーとそこから繋がるフランス音楽界とバレエ・リュス/イタリア風・スペイン風作品と音楽家たち/英国の作曲家たち/舞台美術-『芸術世界』誌の人脈から/ブノワ-ディアギレフの世界を広げた男/バクスト‐バレエ・リュス初期のイメージの源流/『芸術世界』の人たちとバレエ/『芸術世界』から離れて/1920年代の多彩な顔ぶれ/バレエを超えたバレエへ

第6章 ディアギレフ死後:アフター・バレエ・リュス …369

  様々なバレエ・リュスの誕生-そしてバレエ・リュス・ド・モンテカルロ/ディアギレフ、最期の時/ニュースは世界へ/モンテカルロ・バレエ・リュス/バレエは新大陸、そして世界へ‐米国のバレエ/豪州のバレエ/英国のバレエ/フランスのバレエ/日本のバレエとの関わり/今日まで続くバレエ・リュスの遺香

あとがき …408
バレエ・リュス年譜 …(1)
主要参考文献 …I
人名・作品名索引 …①

メモ

■オリエンタルからアヴァンギャルドまで
 忘れてはならないのは、バレエ・リュスが質の高い作品を提供し続けることができた背景には、ディアギレフがバレエの教育、訓練というものの大切さを大変よく理解しており、バレエ・リュスに長い間エンリコ・チェケッティという名教師、後にリュボフ・チェルニチェヴァという二人がいたことである。(p33)

ペトルーシュカ
 この作品は、しばしばバレエ・リュスの作品に登場する「人形振り」と、「死んでも死なない」という二つのテーマを含んだ作品という点でも注目すべきだろう。… 死んでも死なないキャラクターは《ティル・オイレンシュピーゲル》(1916年)、《プルチネッラ》(1920年)、《バラボー》(1925年)といった作品にも登場する。これらほどはっきりと作品のなかで描かれなくても、「死んだものが生き返る、生き続けるというテーマ」と見なすことができる作品もある。こうした死生のテーマはディアギレフが特に意図したものではないだろうが繰り返し登場しているし、後に「死生」「エロス」といったテーマを打ち出してモーリス・ベジャールがバレエ界に登場することを考えると興味深い点である。(p174 )

■日本のバレエとの関わり
 もちろん、日本人ダンサーもその影響を受けており、上海バレエ・リュスにいたという小牧正英や、バレエ・リュスに憧れて研究した東勇作らが、バレエ・リュス作品を上演するなど大きな影響があった。上海バレエ・リュスはディアギレフのバレエ・リュスとはずいぶん違っていたが、レパートリーは重なる部分があった。当時は日本のバレエも、今ほど全幕ものにこだわることはなく、バレエ・リュスのように30分程度の作品をいくつか上演する形態で公演が行われていたのである。(p401-402)