アレクサンドル・チェレプニン(1899-1977)は1934年から1937年にかけて、日本を5回訪れています。最初は1934年4月、東アジアを巡る演奏旅行の途中で初来日しました。7月に再び来日し、9月から10月にかけ清瀬保二ら新興作曲家聯盟所属の日本人作曲家たちと交流しました。
日本人作曲家たちは各人作品を持ち寄りチェレプニンに見せ、演奏し批評を仰いだ。ここで彼らは、チェレプニンから率直な指摘を受け、自分たちの目指すものがすでにヨーロッパの音楽から遅れている現状を知り、国際的な交流の必要性を痛感した。チェレプニンと彼等との議論から日本人作曲家の作品出版が話題にのぼり、チェレプニンは日本人作曲家の作品がいかに出版社から見向きもされず、出版が困難な実情を知った。