『日本の歌』の作詩者深尾須磨子(ふかお・すまこ、1888-1974)は、夫の深尾贇之丞(ふかお・ひろのすけ、1886-1920)が亡くなった後に与謝野晶子にすすめられて夫の遺稿集である『詩集 天の鍵』(アルス、1921)を出版しました。そこには贇之丞の詩27作品と、生前に本人が書いた「自序」、森林太郎(鴎外)の「序」、与謝野晶子の「跋」、そして付録として須磨子の作品54篇と散文「最後の旅」を載せているそうです。贇之丞の詩から引用します。
私の自叙傳
[前略]
俺は厚い土壁の牢獄に俺を見出した。
俺はやうやうの事で窓を目付けた、
窓にはチャイコフスキイが立つて居た、
チャイコフスキイはスクリアビンを紹介して去つた、
俺の血に棲む小反逆者が俺の道徳に肉道した、
スクリアビンの肉體は死んださうだが、
俺の窓へは毎日来る、
今朝も俺の手を握りながら、
「どうだ、俺の手は……」と言つた位だ。
出典:逆井尚子『深尾須磨子:女の近代をうたう』(ドメス出版、2002)p17
贇之丞は「自序」のなかで、「詩すなわち音楽、特にスクリアビンの音楽」と言っているそうです。また逆井尚子の本からフランスについて書いてあるところを引用します。
贇之丞について言えば、彼が詩人としての理想主義からフランスへの憧憬と、音楽への意欲を強く抱き、彼女にフランス語とヴァイオリンを習わせたことはよく知られた話である。雨が降ると夫が教室に傘をもって迎えにきてくれたと彼女は何度私たちに語ってきかせたことか。二人でフランスへ行くのが夫の最大の夢だったとも。
出典:前掲書p47
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日曜日の日経詩歌欄「忘れがたき文士たち」に、「森鷗外、永井荷風、森有正など、日本には真剣に西欧のゴシック的な精神世界と向き合いながら自身の精神世界を構築していった少数の文学者たちがいる。」という一文がありました。ふと、深尾夫妻、そして山田一雄もそれに連なる人たちだったのだなあと思いました。ゴシック的なものばかりでなく、スラブ的なもの、そしてラテン的なものと向き合った日本人たち…