『日本の歌』の詩を書いた深尾須磨子(ふかお・すまこ、1888-1974)については、『笛吹き女』をやったときにいろいろ調べました。
昭和九年の交響曲シリーズその1 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20100818/1282133933
前半生の概略を載せておきます。
1888年(明治21)兵庫県生まれ。京都師範学校で派手な柄の着物を着たり規則に逆らってクラス雑誌をつくったため退学させられ、別の女学校を卒業。東西の小説・古典に親しむ。小学校教員となり三高(旧制第三高等学校)在学中の深尾贇之丞(ふかお・ひろのすけ、1886-1920)と知り合う。1912年に結婚、須磨子24歳、京都帝国大学在学中の贇之丞は26歳。
1914年贇之丞は鉄道院に入り、東京へ転居。詩作をしていた贇之丞の作品が東京日日新聞で首席に入選。1920年贇之丞は肺炎で死去。与謝野晶子を訪ね、夫の遺稿集出版を勧められ、須磨子も詩を発表し詩集を出版。その後次々と詩集を出版。
1925年荻野綾子と共に第1回渡欧。パリに滞在しコレットに師事。1928年帰国。『笛吹き女』、橋本國彦作曲。
1930年毎日新聞特派員として再び荻野綾子と渡欧。パリでモイーズにフルートを習う。1932年帰国。
1939年日独伊親善協会の使節として3度目の渡欧。1940年帰国。1941年全日本女詩人協会結成。1944年祖師谷に転居。『日本の歌』、山田和男作曲。
1945年10月、組詩『祖師谷より』、山田和男作曲。
参考文献:逆井尚子『深尾須磨子:女の近代をうたう』(ドメス出版、2002)
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