ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

畑中良輔「山田一雄とその作品」(1)

 音楽之友社の「日本歌曲全集」(1)に掲載の解説から抜粋です。

山田一雄とその作品(1) 畑中良輔
 瀧廉太郎に端を発し、山田耕筰信時潔によって、その方法論を確立した日本の芸術歌曲は、第1期とも呼ばれる創成期を経て、第2期の継承期に入り、その中で、橋本国彦(1904-1949)の出現によって、その様相を変えはじめた。
 ドイツ・ロマン派主義の傾向の強かった日本の作曲界に、フランスの印象派主義の新風が吹き込みはじめたのである。それまでは、どちらかといえば、機能主義的なドイツの和声の上に成り立っていた日本の歌曲が、橋本国彦の<時代を先取りする>新しい精神の目覚めによって、表現の振幅をひろげ、音楽的想像力の解放を果たしたのである。
 もちろん、それ以前には、清瀬保二のような極めて個性的な、在野派の作曲家も見逃してはなるまいが、歌曲の面では橋本国彦が、それまでに見られなかった新鮮な技法をもって、歌曲の分野を開拓しはじめたのである。それ以前は、いわゆる自由律による詩への作曲はあまり試みられなかった。彼が1928年に発表した《斑猫(はんみょう)》は、当時の歌曲界に衝撃を与えたもので、深尾須磨子のフランス風な洗練に対し、橋本国彦はラヴェル風のエスプリでこたえたのである。
 新しい変貌を見せはじめた第2期<継承期>をさらに発展させた第3期が、そうして次にやって来ることとなる。この<発展期>には、1910年生まれの清水脩、12年生まれの石渡日出夫、山田一雄らが数えられ、歌曲の世界の多彩な技法を持ち込んだ。
 この中で、橋本国彦の作風を受け継ぎ、さらに現代風な視座の中に歌曲を書き始めたのが、山田一雄である。
(中略)
 橋本国彦が、深尾須磨子の詩と深いかかわり合いを持っていたように、山田一雄もまた、深尾須磨子の詩による大きな歌曲集を完成している。フランスの詩人、作家でもあるコレット女史に私淑し、マルセル・モイーズにフルートを学んだ深尾女史の生粋のフランス的なるものへの影響を、山田一雄は受けたに違いない。深尾女史は生前橋本国彦を「クニちゃん」と呼び山田一雄は「カズ」ちゃんと純愛の情を持って呼んでいた。
(中略)
 深尾須磨子、ジャン・コクトオ、堀口大学春山行夫、城左門――宮沢賢治は別格としても、これらの詩人はすべてフランスの詩人にかかわりのあるひとたちばかりである。山田一雄の歌曲の底に流れる<ラテン的明晰>も、これらの詩人を抜きにしては考えられぬところであろう。
(後略)

出典:日本歌曲全集15 山田一雄I (音楽之友社、1993)
内容はこちら:http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20111012/1318418272