山田和男(戦後一雄に改名、1912-1991)に師事した指揮者の石丸寛(いしまる・ひろし、1922-1998)は、山田がハルビン響に客演した1945年当時、召集されて二等兵として満州戦線にありました。その時の出来事が『王道楽土の交響楽』の中に次のように紹介されています。
(前略)それから1年以上経ったでしょうか、連隊長から直接呼び出しがあったのです。中隊の、しかも二等兵に連隊長直々呼び出しがかかることなど普通ありませんから、中隊長は何事かと心配していました。
連隊長室に出頭し、椅子に腰掛けるよう勧めた連隊長は、私にこう尋ねました。
「お前、山田和男という人を知っているか?」
「私の師であります」
「満州に来ていることを知っているか?」
「風の便りには聞いていましたが……」
「とにかく、ラジオをお前に聴かせるように、という命令である」
ビリケン型のおんぼろのラジオのスイッチを連隊長が入れると、こんなアナウンスが流れてくるではありませんか!
「ただいまより、山田和男指揮、ハルビン交響管弦楽団の演奏をお送りします。曲目はワーグナー作曲《ニュルンベルクのマイスタージンガー》前奏曲……」
私はそれを聴いただけで、もう涙がボロボロと溢れ出し、それから30分ほどでしょうか、演奏が流れているあいだじゅう、ずっと涙をこぼしていました。連隊長は不思議そうに、タバコを吸いながら一緒にラジオの前におりました。
(中略)
戦後、山田先生にお会いしたら、
「あのとき自分は満州国に国賓待遇で呼ばれていたから、『石丸という弟子が満州に来ている。何とか演奏を聴かせられないものか』と関東軍に直談判したんだよ。……(後略)」
出典:岩野裕一『王道楽土の交響楽』(音楽之友社、1999)p324-325
このエピソードは当時の状況をよく伝えるものですので多くの皆様に読んでいただきたく、ここに抜粋掲載いたしました。