ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

『王道楽土の交響楽』目次・その3

岩野裕一『王道楽土の交響楽 : 満州―知られざる音楽史』(音楽之友社、1999)目次(その3)です。(その2)はこちら

第3章 「ハルビン交響楽団」誕生す
   不吉な国歌
   溥儀の「御前演奏」
   北鉄接収とオーケストラの再建
   「哈爾濱交響管弦楽協会」の誕生
   「特務機関」のオーケストラ
   外来演奏家の来満
   ユダヤ人の都ハルビンとヘルムート・シュテルン少年
   朝鮮人の音楽青年・林元植
   「日満防共親善友好使節」として
   酷評されたハルビン響の「音」
   ハルビン響道中記

1932年に建国された満州国の国歌は山田耕筰作曲のものが作られましたが、これは結局お蔵入りになり、1933年に満州の民謡などを採りいれた別の国歌が作られました。ハルビンのオーケストラが所属していた鉄道局は満鉄(南満州鉄道)が引継ぎ、音楽会も開催されていました。しかし巨額の財政負担で前途が危ぶまれ、音楽愛好家の日本人有志が会員組織をつくり「哈爾濱交響管弦楽協会」が結成されました(略称は哈響、哈爾濱はハルビンの漢字表記)。その後ハルビン特務機関の所属となり、1939年には再び日本への演奏旅行が行われました。
(ブログ子註:1939年(昭和14)には深井史郎32歳、朝比奈隆31歳、伊福部昭26歳、芥川也寸志14歳。深井が映画『空想部落』の音楽を作曲した年でした。)