ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

「古関裕而物語」

 ニッポニカ第40回演奏会でとりあげる古関裕而『大地の反逆』についての情報は少なく、刑部芳則古関裕而』(中公新書、2019年)では1930年の初演についてわずかにふれていて、そこには「大正12(1923)年9月1日に古関が体験した関東大震災の衝撃から生まれている」と書かれています。しかし、1909年福島生まれの古関は震災当時14歳。東京に親しい知人がいたとも思えず、福島もそれなりに揺れたでしょうけれど、インターネットはおろかテレビもまだない時代。ラジオや新聞や大人たちの会話から遠い地の出来事を知っても、自身が衝撃を受けるほど体験したわけではないでしょう。
 また、作曲した1928年は古関が商業学校を卒業して川俣銀行に勤め始めた年で、作曲賞をとるのは翌年末、東京に出てくるのはさらに後です。NHK朝ドラでは東京で作曲し山田耕筰に楽譜を見せる場面が出てきましたが、それはかなり創作です。
 以前『オリンピックマーチ』を演奏した頃に古関の履歴を調べたとき、1928年当時は金須嘉之進(きす・よしのしん、1866-1951)に師事しているのがわかりました。その金須はロシアのペテルブルクの帝室合唱団附属合唱学校でリムスキー=コルサコフに師事。帰国後は東京で音楽活動をしていましたが、関東大震災以降に故郷の仙台に転居したのでした。直接衝撃を受けたのは古関でなく、恩師金須だったわけです。古関は作曲の指導を受けながら、関東大震災の有様を金須からいろいろと聞いたと思われます。19歳の古関はそれを聞いて受けた気持ちを楽譜に表現したのではないでしょうか。
 なお、金須が留学した合唱学校でリムスキー=コルサコフは副院長、当時の院長はバラキレフでした。留学は3年に及びましたので、バラキレフとも接していたことと思われます。
■初出:ニッポニカFB 6月15日 15:24 
Facebookにログイン

■金須が留学した合唱学校は現在、サンクトペテルブルクグリンカ記念合唱学校に継承されています。
グリンカ記念合唱学校 - Wikipedia