古関裕而(1909-1989)の年譜、東京にでてくるまでです。
西暦(和暦)年齢:ことがら
- 1909(明治42)0:8/11福島県福島市に生まれる。本名勇治。
- 1916(大正5)7:福島県師範附属小学校入学。
- 1918(大正7)9:卓上ピアノを買ってもらう。3年からの担任遠藤喜美治が童謡作曲を指導。
- 1920(大正9)11:ハーモニカ独習、セノオ楽譜をハーモニカ譜に直して吹く。
- 1922(大正11)13:福島商業学校進学。
- 1923(大正12)14:福島ハーモニカ・ソサイティー参加。和声学、対位法の勉強を始める。
- 1925(大正14)16:「我国に於ける無線電信電話発達の概要」発表。
- 1926(昭和1)17:作曲ノート作り始める。ペンネームは楽治雄(らじお)。
- 1927(昭和2)18:このころペンネーム「裕而」とする。
- 1928(昭和3)19:3月商業学校卒業。川俣銀行就職。この頃金須嘉之進から和声学を習う。これ以降どこかで山田耕筰と文通始める。
- 1929(昭和4)20:英国チェスター楽譜出版社の作曲募集に舞踊組曲「竹取物語」など5曲を応募。竹久夢二展を観て「福島小夜曲」作曲、以降夢二晩年まで交友。
- 1930(昭和5)21:1月古関の入選が新聞報道。豊橋の内山金子と文通始まる。5月銀行退社。6月結婚。9月上京、10月コロムビア専属契約。「大地の反逆」披露。同期に古賀政男。菅原明朗と出会う。