ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

石井眞木『風姿』『浮游する風』

 陳明志作曲『御風飛舞』の練習が進んでいます。曲名にある「風」からは、石井眞木『風姿』、そして『浮游する風』が連想されます。『西の響き・東の響き』の記載は次の通りです。

《風姿》−オーケストラのための−1989 作品84
《浮游する風》−交響三連作−[第I曲−雅霊、第II曲−風姿、第III曲−砕動鬼] 1989, 92 作品84-86

《風姿II》−能管と小オーケストラのための−1989 作品87

 最初に作曲された『風姿』が、『浮游する風』の第2曲になりました。余談ですが眞木先生は「浮遊」でなくて「浮游」ですよ、と念を押されていました。「風姿」は勿論、世阿弥の『風姿花伝』から来ています。この曲について『西の響き・東の響き』に載っているヴォルフガング・ブルデの考察から引用します。

 最近作のひとつであるオーケストラ曲《風姿》は、その形式構想の点で、日本の伝統に、すなわち強弱法上の3要素のバランスに深く根差しているように思われる。これは、能における理論家で傑出した美学者、そして演者であった世阿弥元清(1363-1443)が美の根本法則として解説している序−破−急の原理である。雅楽の伝統では、これは拍節的ではない開始部(序)、後続の展開部で中心的な部分(破)、そしてそれに続く急速なテンポの短い部分(急)を意味する。交響的な主張をもつ石井のこの管弦楽曲もこの大きな形式構想に従っており、その細部にわたる構造は、西方の思考にも東方の思考にも見られる拡大と縮小へのヘテロフォニーという、あの変化に富む徹底的形式から多くを得ている。しかし、全体的雰囲気として、この作品は本質的に相容れない空間と時間という構想を序−破−急によって結合するという古くからの伝統も示している。空間と時間は、破によって合体を強いられるのである。序は開始を意味する空間的要素であるが、テンポ用語の急は時間的要素だからである。美はそのような奇数の3という不均衡な構造の中に、「秘すれば花なり、秘さずは花なるべからず」(『風姿花伝』)という世阿弥の言葉の精神で現れる。さらに派生的な意味として、序−破−急には天−地−人という現世の均衡が反映されているのである。


出典:ヴォルフガング・ブルデ「統合としての音楽世界−石井眞木の音楽作品について」(『西の響き・東の響き』p106, 110(寺本まり子訳)

 作曲者は同じ本の中で、

 《風姿》には、これまでの私の作品に顕在していなかった序破急の原理の応用があるが、やはり「序破急」の作品にはならなかった。全体的には序破急でもない、西欧風「コンポジション」でもない<第三の秩序>が得られたかもしれない。

と書いています(同書p64-66)。


石井眞木『西の響き・東の響き』目次 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20130111/

第43回ベルリン芸術週間1993における石井眞木『浮游する風』公演http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20130602/
現代の交響作品展'92(演奏会プログラム)http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20130531/