ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

ヴァイル作曲『リンドバーグの飛行』の日本初演

 クラウス・プリングスハイムの伝記の中に、ブレヒトの台本にクルト・ヴァイルの作曲したもうひとつの作品『リンドバーグの飛行』(1929)も出てきました。『クラシック音楽作品名辞典』には「C.A,リンドバーグの大西洋横断飛行をたたえる放送劇のための作品」とありました。またクラウスの自伝によると、最初はヴァイルがヒンデミットといっしょに作曲したものの、意見が対立し、のちにヴァイルによって書き直されたそうです。
 この曲の日本初演について、自伝には次のように書かれています。

 そして1935年(昭和10年)、本来はクラウスが『イエスマン』とともに東京音楽学校での上演を考えていたヴァイル作曲の『リンドバーグの飛行』の日本初演。翻訳と演出は音楽評論家の塩入亀輔、編曲は前衛作曲家の伊藤昇、指揮は紙恭輔、演奏は東宝映画系のオーケストラ、PCL管弦楽団。当日は、1933年12月に第1回目の演奏会を開いたこの楽団の第5回目の演奏会だった。(p52)

 この演奏会については、作曲家深井史郎の年譜にも書かれていました。翻訳を深井史郎も担当したそうです。
深井史郎略年譜 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20100710/1278716205

山下洋輔紙恭輔、あるいは音楽家の交遊 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20110606/1307359528

 飛行機といえば朝日新聞の取材用機「神風号」がロンドンへ飛んだのは1937年、それに着想をえて大澤壽人がピアノ協奏曲第3番を作曲したのは翌1938年のことでした。リンドバーグが大西洋を飛んだのが1927年ですから、その熱気がこの時代は世界を席巻していたのでしょう。