先日の練習はベートーベンの『運命』でした。この曲は日本でたくさん演奏されているだろうけど、戦前はどのくらい誰が指揮していたのかふと気になりました。そこで日本のオーケストラの定期公演で取り上げられた記録を調べた所、戦前については下記のとおりでした。
年月日 | オケ#定期回:指揮者 | 会場 |
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1927.10.30 | N響#16:近衛秀麿 | 日本青年館 |
1929.06.16 | N響#52:近衛秀麿 | 日本青年館 |
1930.10.05 | N響#74:ヘンリー・ハドリー | 日本青年館 |
1931.06.17 | N響#92:近衛秀麿 | 日本青年館 |
1932.06.05 | N響#111:ニコライ・シフェルブラット | 日本青年館 |
1933.06.19 | N響#127:近衛秀麿 | 日比谷公会堂 |
1933.11.22 | N響#132:マリオ・パーチ | 日比谷公会堂 |
1934.12.12 | N響#147:近衛秀麿 | 日比谷公会堂 |
1936.05.06 | N響#167:ワルター・ヘルベルト | 日比谷公会堂 |
1936.11.25 | N響#173:ジョセフ・ローゼンシュトック | 日比谷公会堂 |
1939.05.31 | N響#205:ジョセフ・ローゼンシュトック | 日比谷公会堂 |
1940.11.18 | 中響#6:マンフレート・グルリット | 日比谷公会堂 |
1941.10.06 | 東響#2:マンフレート・グルリット | 名古屋市公会堂 |
1941.10.07 | 東響#2:マンフレート・グルリット | 宝塚大劇場 |
1944.04.12・13 | N響#255:山田一雄 | 日比谷公会堂 |
出典:新編 日本の交響楽団 定期演奏会記録1927-1981 / 小川昂編(民音音楽資料館、1983)
「中響」は中央交響楽団(1940-1941)、その後身の「東響」は東京交響楽団(1941-1948)で、その後東京フィルハーモニー交響楽団となりました。現在の東京交響楽団とは別のオーケストラです。