ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

伊福部昭と佐藤忠良

 世田谷美術館で12月23日から「ある造形家の足跡 佐藤忠良展:彫刻から素描・絵本原画まで:1940-2009」という企画展が開催されます。佐藤忠良(さとう・ちゅうりょう、1912-)といえば著名な彫刻家で、絵本『おおきなかぶ』の絵でも有名ですが、北海道時代には作曲家伊福部昭(1914-2006)と交流がありました。ニッポニカで演奏した2004年のコンサートのプログラムにメッセージが掲載されていますので、抜粋を載せてみました。

伊福部昭少年       佐藤忠良
 伊福部昭君が、北海道の帯広に近い音更村(オトフケムラ)から札幌の第二中学校へ入って来たのは一九二六年であった。
 其処には一級上に同級の兄上・勲君がいて共に村長の子息であったようだが、この秀才兄弟は日常性の中で私たちとはまことに気安い付き合いであった。
 中学二年の私は北大畜産科の助手をしていた二十三歳の岩瀬という人と一軒屋で自炊生活をしていたのだが、偶然にも其処から数百メートルの処の牛舎の傍の家で、この伊福部兄弟がお姉さんを炊事係りにして住んでいたので、私はときどき顔を出していたのだったが、家の中からバイオリンの音のするとき訪れると昭君が畳部屋で、中学生とは思えない姿勢で奏でている立ち姿を見せられる度に楽譜も読めずにハーモニカを口にしていた私は、とても叶わない思いにさせられたものであった。
[中略]
 伊福部昭というと、私に少年時代からずっと抜け切らずに心に深く残されてしまった彼の言葉がある。
 二人で雑談していたときに彼が「運は寝て待て」ではなくて「練って待て…」なのだそうですと語り聞かせてくれたことであった。
 その頃は「ああ、そうか…」程度の響きで耳にしてしまっていたことが、彫刻に身を入れ制作年令を重ねながら、作品がなかなかこちらの思う形になってはくれないということを思い知らされながら、あのときの伊福部昭少年の言葉が今だに私の中を過って消え去らずにいるのである。


出典:『伊福部昭文化功労者顕彰お祝いコンサート』(演奏会プログラム)
伊福部昭文化功労者顕彰お祝いコンサート実行委員会, 2004.2.1)

世田谷美術館企画展
「ある造形家の足跡 佐藤忠良展:彫刻から素描・絵本原画まで:1940-2009」

2010年12月23日〜2011年3月6日 1階展示室
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html