西暦(和暦)できごと | 伊福部昭年譜(年齢) |
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1914(大3) | 5/31釧路町幣舞に生まれる |
1920(大9) | 札幌に転居(6) |
1923(大12)関東大震災 | 父の村長就任に伴い音更村に転居。この頃より独学でヴァイオリンやギターを始める(9) |
1926(昭1)近衛秀麿、新交響楽団を組織 | 札幌に戻り札幌二中入学、三浦淳史と知り合う。一級上に佐藤忠良(後の彫刻家)(12) |
1927(昭2)スルヤ第1回演奏会 | 独学で作曲の勉強を始める(13) |
1930(昭5)伊藤昇『マドロスの悲哀への感覚』 | ストラヴィンスキー「春の祭典」を聴き、オーケストラ作品の創作にも手を染める(16) |
1932(昭7)満州国建国宣言 | 北海道帝国大学農学部林学実科に入学、早坂文雄と出会う(18) |
1933(昭8)国際連盟脱退 | 次兄勲のギターリサイタルで「ノクチュルヌ」初演。「ピアノ組曲(日本組曲)」作曲(19) |
1934(昭9)大澤寿人『交響曲第2番』 | 三浦・早坂文雄らと共に新音楽連盟を結成、「第1回国際現代音楽祭」を開催(20) |
1935(昭10) | 北大卒業後、地方林務官として厚岸の森林事務所に赴任。「日本狂詩曲」がチェレプニン賞第1席受賞(21) |
1936(昭11)2・26事件 | ボストンで「日本狂詩曲」初演。チェレプニン来日、横浜でチェレプニンに作曲法と管弦楽法を教わる。楽譜「日本狂詩曲」「日本組曲(ピアノ組曲)」が出版される(22) |
1937(昭12) | 「土俗的三連画」初演(23) |
1938(昭13) | 「ピアノ組曲(日本組曲)」がヴェネチア国際現代音楽祭に入選(24) |
1939(昭14)大日本音楽著作権協会設立 | 北大演習林事務所に勤務。小船幸次郎指揮で「日本狂詩曲」がワルシャワ他で演奏される(25) |
1940(昭15) | 小樽新聞主催の紀元二千六百年記念祭で「交響舞曲越天楽」を作曲・指揮(26) |
1941(昭16)12/8太平洋戦争始まる | 前年の「越天楽」で舞踊を手掛けた江口隆哉門下の舞踊家・勇崎アイと結婚。「ピアノと管弦楽のための協奏風交響曲」初演(27) |
1942(昭17) | 次兄勲が蛍光塗料研究中の放射線障害で病没(28) |
1943(昭18)学徒出陣 | 「交響譚詩」がビクター管絃楽曲懸賞で一等に入選、文部大臣賞を受賞(29) |
1944(昭19) | 「日本狂詩曲」国内初演。新京音楽院の招きで満洲・蒙古を訪問(30) |
1945(昭20)8/15終戦 | 「音詩 寒帯林」がハルビンで初演。帝室林野局林業試験場に勤務、喀血して一年間の療養生活に入る(31) |
1946(昭21)小林秀雄「モオツアルト」 | 日光・久次良に転居。東京音楽学校(現・東京芸術大学)作曲科の講師に就任(32) |
1947(昭22) | 東京都世田谷区に転居。最初の映画音楽「銀嶺の果て」(谷口千吉監督)を手がける。「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲」「ギリヤーク族の古き吟誦歌」初演(33) |
1948(昭23)斎藤秀雄ら子供のための音楽教室開設 | 「サロメ」初演(34) |
1949(昭24)深井史郎『平和への祈り』 | 「サハリン島土蛮の三つの揺籃歌」初演(35) |
1950(昭25) | 世田谷区尾山台に転居。バレエ「プロメテの火」初演(36) |
1951(昭26)黒沢明監督「羅生門」ヴェネチア映画祭でグランプリ | 「音楽入門」(要書房)出版(37) |
1952(昭27) | 「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏曲」がジェノア国際作曲コンクールに入選(38) |
1953(昭28)池野成『ダンス・コンセルタンテ』 | 東京芸術大学作曲家講師を辞職。「管絃楽法 上巻」(音楽之友社)出版(39) |
1954(昭29))第5福竜丸水爆実験被災 | 「シンフォニア・タプカーラ」作曲、映画「ゴジラ」の音楽を手掛ける(40) |
1955(昭30) | 「シンフォニア・タプカーラ」初演(41) |
1957(昭32)芥川也寸志『双子の星』 | 「アイヌの叙事詩に依る対話対牧歌」初演(43) |
1958(昭33)芥川也寸志『エローラ交響曲』、黛敏郎『涅槃交響曲』 | 「合唱頌詩 オホーツクの海」を自らの指揮で初演(44) |
1959(昭34) | 「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」改定初演(45) |
1960(昭35)安保条約強行採決 | Vn前橋汀子が山田和男指揮で「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏的狂詩曲」をNHKで録音(46) |
1961(昭36)東京文化会館落成 | 「ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ」初演(47) |
1968(昭43)芥川也寸志『蜘蛛の糸』 | 「管弦楽法 下巻」「上巻増補版」出版(54) |
1971(昭46)沖縄返還協定調印 | 「伊福部昭歌曲集」出版(57) |
1972(昭47) | バレエ「日本二十六聖人」初演(58) |
1973(昭48)小杉太一郎『大いなる故郷石巻』 | 「ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲」放送初演(59) |
1974(昭49)芥川也寸志『GXコンチェルト』 | 東京音楽大学作曲家教授に就任(60) |
1976(昭51)石井眞木『モノプリズム』 | 東京音楽大学学長に就任。「オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ」初演(62) |
1977(昭52) | LP「伊福部昭の世界」発売(63) |
1979(昭54) | ブルノで「ヴァイオリン協奏曲第2番」の初演。 |
1980(昭55) | 「シンフォニア・タプカーラ」改訂版初演(芥川也寸志指揮新響)。紫綬褒章を受章(66) |
1982(昭57)石井眞木『アフロ・コンチェルト』 | 「二十絃筝とオーケストラのための交響的エグログ」初演(68) |
1983(昭58) | 「SF交響ファンタジー第1〜3番」初演(69) |
1984(昭59)石井眞木『祇王』 | 「伊福部昭個展―北日本列島の歌―」で「日本の太鼓」初演。古希記念コンサート開催(70) |
1985(昭60) | 東京音楽大学民族音楽研究所所長に就任。「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」初演。「音楽入門」改訂版出版(71) |
1987(昭62) | 勲三等瑞宝章を受章(73) |
1988(昭63) | 「叙勲を祝う会」で「九人の門弟が送る〈伊福部昭のモチーフによる讃〉」初演(74) |
1989(平1) | 「交響頌偈 釈迦」初演(75) |
1990(平2) | 都響「日本の作曲家シリーズ 伊福部昭」開催(76) |
1991(平3) | 「作曲家の個展’91 伊福部昭」で「管弦楽のための日本組曲」初演。喜寿記念コンサートが府中音楽の森ホールで開催(77) |
1992(平4) | 「伊福部昭の宇宙」出版(78) |
1993(平5)松村禎三『沈黙』 | 「交響的音画 釧路湿原」放送初演(79) |
1994(平6) | 「因幡万葉の歌五首」初演(80) |
1995(平7) | CD「伊福部昭の芸術」発売(81) |
1996(平8) | 長年の作曲活動により日本文化デザイン賞・大賞を受賞(82) |
1997(平9) | 札幌で「伊福部昭音楽祭」開催(83) |
1998(平10) | 「絃楽オーケストラのための日本組曲」初演(84) |
1999(平11) | 二十五絃筝曲「琵琶行」初演(85) |
2000(平12) | 「伊福部昭作品による藍川由美リサイタル」開催(86) |
2001(平13) | 「ヴァイオリン協奏曲」1・2番のピアノリダクション版楽譜が出版(87) |
2002(平14)石井眞木『扇の舞』 | 米寿記念コンサートが紀尾井ホールで開催(88) |
2003(平15) | 「音楽入門」新装版出版。文化功労者顕彰(89) |
2004(平16) | 文化功労者顕彰お祝いコンサート(90) |
2006(平18) | 2/8没、享年91歳 |
参考文献:『音楽入門』(全音楽譜出版社、2003)、「伊福部昭文化功労者顕彰お祝いコンサート」プログラム(2004)、伊福部昭公式ホームページ(暫定版)>伊福部昭とは http://www.akira-ifukube.jp/%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8%E6%98%AD%E3%81%A8%E3%81%AF/