ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

エリオットと大江健三郎の引用

大江健三郎引用したT.S.エリオット(1888-1967)はミュージカル『キャッツ』の原作者としても知られています。彼は米国生まれ、ハーバード大学で仏文学・哲学などを学んだ後フランス・ドイツ・英国に留学。『荒地』は1922年の発表で、第一次大戦後の荒廃したヨーロッパの空気の中で作られました。手元の解説書には「病める西欧文明、荒廃せる人間社会を「不毛の地」になぞらえて描き、ここに救いの慈雨の降ることを希求する気持ちで歌い上げた作品」と書かれています。作品は次の5つの章からなっています。
 I. 死者の埋葬 / II. チェス / III. 火の説法 / IV. 水死 / V. 雷の言葉
この第4章「水死」の中の一節を、大江健三郎は小説『水死』の冒頭に掲げています。そして大江が『上機嫌』の中に引用した第5章「雷の言葉」について、解説書には次のようにあります。

 このように、救いについては明瞭な解答は与えられず、すべてを将来に託した形で終わっている。将来必ず人間世界に救いがもたらされるかと言うと、そうでもない。必ず破局にいたるのか、と言うと、そうでもない。[中略。たそがれの色は]不徹底なるが故にかえって救済の容易でない心的状態を象徴する。神と絶縁しながらもなおかつ「生きている」人間の姿を象徴する。

オペラ『ヒロシマのオルフェ』もこのように終わっているような気もします。オペラの最後のト書きには、「医師は青年を殺すためか手術するためか、わからぬ身振りをおこすが、溶暗のためにはっきりわからない」となっています。
解説書にはまた、「エリオットに匹敵するほどの博学多識な、しかも引用を自在に出来る人はそうざらにいるものではない。いわんや元歌(もとうた)を移植することによって突然変異的な効果を生み出す芸となると、後継者を見出すことはちょっと不可能である。」とあります。確かに彼の作品中には古今東西の文学・伝説・神話などが縦横にちりばめられています。
そして大江もまた、このエリオットやコクトーを引用しているのです。さらに同時期の大江の小説『夜よゆるやかに歩め』には、映画『羅生門』の原作、芥川龍之介『藪の中』を題材としたと考えられる場面がありました。
芥川也寸志ストラヴィンスキーラヴェルの音楽を模倣し、それを自分の血肉として新しい作品に昇華していったように、大江健三郎古今東西の先人の作品から得たイメージを、豊かに醸成していった足跡がよくわかります。
(解説書:T.S.Eliot著、福田陸太郎・森山泰夫注解『荒地・ゲロンチョン』増補版 大修館書店、1972 NACSIS Webcat