ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

入野義朗『十二音の音楽:シェーンベルクとその技法』

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入野義朗『十二音の音楽』
入野義朗『十二音の音楽:シェーンベルクとその技法』早川書房、1953.7

序 十二音の音楽とはどういうものか …5

「十二音の音楽」は「twelve-tone music」の訳語だが、最近では「ドデカフォニー dodecaphony」という言葉がよく使われる。

第1章 調性音楽から十二音の音楽へ …9

「旋法」の時代~ポリフォニーの出現~調性音楽の発達(器楽の発達と平均律の発明)~変化和音、非和声音の使用(ワーグナー)~様々な試み(ドビュッシー、ピツェッティ、ミロ―、プロコフィエフヒンデミット

第2章 シェーンベルクとその弟子たち …22

A.シェーンベルク(1874-1951):

A.ウェーベルン(1883-1945)十二音音楽の将来の可能性を徹底的に追求した
A.ベルク(1885-1935)伝統音楽と十二音音楽の結びつきを追求 「ヴォツェック」「抒情組曲」「Vn協奏曲」

第3章 十二音の作曲技法 …47

「12の音を1回ずつ用いた音列」を基礎に、音程関係を保つ

第4章 十二音の音楽の作曲家たち …61

  • J.M.ハウアー(1883-)ウィーン
  • E.クジェネーク(1900-)ウィーン~米国
  • B.ブラッハー(1903-)満洲~ベルリン
  • W.フォルトナー(1907-)ライプチヒ
  • H.ヘンツェ(1926-)ドイツ
  • G.クレーべ(1925-)マンハイム~ベルリン
  • R.レイボヴィッツ(1913-)ワルシャワ~パリ 十二音音楽の普及に尽力
  • P.ブーレーズ(1925-)フランス
  • L.ダッラピッコラ(1904-)オーストリア~イタリア
  • W.リーガー(1885-)米国

第5章 十二音技法を用いない人達 …72

第6章 十二音音楽の文献 …77

(1) ハウアー (J.M.Hauer)

  • 『音楽的なものの本質について』(ベルリン、1920)
  • 『メロスからパウケへ:十二音音楽入門』(ウィーン、1925)
  • 『十二音の技法:トローペ論』(ウィーン、1926)

(2) シェーンベルク

  • 「十二音による作曲」(『様式と理念』(ニューヨーク、1950)所収。1941年3月カリフォルニア大学での講演)
  • 「私の歩み」『ミュージカル・クウォータリー』1952に転載。

(3) レイボヴィッツ (Rene Leibovitz)

(4) クジェネーク

  • 『十二音技法に基礎をおいた対位法研究』(ニューヨーク、1940)

(5) アイメルト (Herbert Eimert, 1897-)

  • 『十二音技法教本』(ブライトコップ、1950)

(6) ウィーゼングルント・アドルノ

この他の本はまだ日本に入ってきていない。雑誌記事も多々ある。伝記は次の通り。

附記 現代音楽年表 …85

1859年ワーグナートリスタンとイゾルデ』作曲から、1951年シェーンベルク没まで、十二音音楽の発展に関係ある事項をまとめたもの。

                • -

旧字体新字体に改めた。作曲家名は『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂、1996)の表記に揃えた。

「シェーンベルクとその楽派」年表

新ウィーン楽派と呼ばれるシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの年表を、ルネ・レイボヴィッツシェーンベルクとその楽派』の記述から作成してみました。ベルクとウェーベルンシェーンベルクに師事していたのは、共に1904年から1910年の時期です。シェーンベルクは1933年にアメリカに亡命し、弟子たちよりも長生きしました。

西暦 A.シェーンベルク A.ベルク A.ウェーベルン
1874 ウィーン生。両親はユダヤ
1883 ウィーン生。
1885 ウィーン生。
1886 Vnを学ぶ。
1897 ツェムリンスキーに学び弦楽四重奏曲を書く。
1898 歌曲を多く書く。
1899 弦楽6重奏曲「浄夜
1900 グレの歌」に取り掛かる。
1901 ツェムリンスキーの妹マチルデと結婚。
1902 ペレアスとメリザンド ウィーン大学音楽学の博士号。
1904 シェーンベルクに作曲を師事。 シェーンベルクに作曲を師事。
1906 「室内交響曲
1907 弦楽四重奏曲第2番」調性放棄。
1908 ゲオルゲ歌曲集」 「Pfソナタ 管弦楽のためのパッサカリア
1909 モノドラマ「期待」 「4つの歌曲」調性~調性停止。 弦楽四重奏の「5楽章」「管弦楽の6つの小品」
1910 弦楽四重奏曲」。ヴェデキントを知りマーラーと出会う。 VnとPfの「4つの小品」
1911 グレの歌 結婚。
1912 月に憑かれたピエロ 「5つの管弦楽付歌曲」
1913 「4つの歌曲」~1916 「ClとPfの4曲」
1914 「3つの管弦楽曲
1915 従軍1。 従軍~1918。
1917 従軍2。作曲ゼミナール~1920 ヴォツェック」台本完成。
1920 ヴォツェック
1921 「5つのピアノ曲」最初の12音作品。(~1923)
1922 「5つの宗教歌」伝統的対位法。
1923 「5つのカノン」伝統的対位法。
1924 「3つの宗教的民謡」以降全て12音作品。
1925 「4つの混声合唱曲」「3つの譚詩」。ベルリン芸術アカデミー教授~1933。 「室内協奏曲」 「3つの歌曲」
1926 「抒情組曲」12音作品。
1927 「弦楽三重奏曲」
1928 管弦楽の変奏曲」12音の一つの頂点。 「ルル」~未完。 交響曲ウェーベルンの独創性。
1929 オペラ「今日から明日まで」 アリア「ぶどう酒」12音作品。
1930 「6つの無伴奏男声合唱曲」調性への帰還。
1933 ユダヤ教に改宗。アメリカ亡命。
1935 カリフォルニアに移住。 「Vn協奏曲」。ウィーンで没。(50歳) 合唱と管弦楽「眼の光」
1936 「Vn協奏曲」「弦楽四重奏曲第4番」12音の頂点2。 「Pfのための変奏曲」
1938 「コル・ニドレ」 弦楽四重奏曲
1940 アメリカ市民となる。「第二室内交響曲」調性的作品。
1941 「オルガンの変奏曲」調性的作品。
1942 ナポレオン・ボナパルトへのオード」「Pf協奏曲」12音作品。
1943 「管楽のための変奏曲」調性的作品。
1945 ザルツブルク近郊で没。(61歳)
1946 「弦楽三重奏曲」
1951 ロサンゼルスで没。(76歳)

参考:ルネ・レイボヴィッツシェーンベルクとその楽派』入野義朗訳、音楽之友社、1965

古関裕而年譜その3:1946-1964

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1950年代に発売された古関裕而のブロマイド

古関裕而(1909-1989)の年譜、終戦からオリンピックまで。

西暦(和暦)年齢:ことがら

  • 1946(昭和21)37:藤山一郎松田トシが古関の歌を歌ってヒット。
  • 1947(昭和22)38:菊田一夫の劇に作った「雨のオランダ坂」がヒット。NHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」。NHKスポーツ番組「スポーツショー行進曲」。
  • 1948(昭和23)39:甲子園「栄冠は君に輝く」。
  • 1949(昭和24)40:「長崎の鐘」ヒット。
  • 1950(昭和25)41:「イヨマンテの夜」。このころオペラを3曲金子のために作曲。
  • 1951(昭和26)42:「あこがれの郵便馬車
  • 1952(昭和27)43:ドラマ「君の名は」主題曲他、NHK「ひるのいこい」
  • 1953(昭和28)44:菊田一夫と共にNHK放送文化賞受賞。
  • 1954(昭和29)45:「高原列車は行く」
  • 1955(昭和30)46:菊田一夫に誘われ東宝ミュージカルの作曲始める。
  • 1956(昭和31)47:「メコン舟歌」「ゴビの砂漠」「ガンヂス河は流れる」
  • 1957(昭和32)48:芸術座「暖簾」
  • 1958(昭和33)49:「十一人の越冬隊」
  • 1959(昭和34)50:芸術座「がめつい奴」
  • 1960(昭和35)51:東宝敦煌
  • 1961(昭和36)52:芸術座「放浪記」、東宝映画「モスラ」、自衛隊の歌
  • 1962(昭和37)53:「巨人軍の歌
  • 1963(昭和38)54:「オリンピックマーチ」(管弦楽
  • 1964(昭和39)55:東宝「青き狼」、「オリンピック・マーチ」(吹奏楽

参考:

古関裕而年譜その2:1931-1945

古関裕而(1909-1989)の年譜、戦時中は軍歌をいろいろ作曲しました。

西暦(和暦)年齢:ことがら

  • 1931(昭和6)22:妻の金子、帝国音楽学校入学。世田谷代田へ転居。「紺碧の空」「福島行進曲」「福島小夜曲」レコード発売。藤山一郎と出会う。
  • 1932(昭和7)23:このころから宮田ハーモニカバンドで指揮をする。
  • 1933(昭和8)24:ご当地ソング種々作曲するもはやらず。菅原明朗に個人的に理論を学ぶ。
  • 1934(昭和9)25:「利根の舟唄」が初ヒット。
  • 1935(昭和10)26:「船頭可愛いや」大ヒット。
  • 1936(昭和11)27:「大阪タイガースの歌(六甲おろし)」
  • 1937(昭和12)28:金子と満洲旅行。「露営の歌」大ヒット。劇作家菊田一夫と知り合う。
  • 1938(昭和13)29:中支派遣軍に従軍。戦時歌謡次々作曲。
  • 1939(昭和14)30:映画音楽も次々作るがヒットせず。
  • 1940(昭和15)31:「暁に祈る」ヒット。
  • 1941(昭和16)32:ニュース歌謡「宣戦布告」「英国東洋艦隊潰滅」など短時間で作曲。
  • 1942(昭和17)33:南方慰問団、シンガポールビルマ雲南
  • 1943(昭和18)34:「若鷲の歌」「ラバウル海軍航空隊」
  • 1944(昭和19)35:インパール作戦従軍。サイゴン慰問。「突撃喇叭鳴り渡る」「比島決戦の歌」「嗚呼神風特別攻撃隊
  • 1945(昭和20)36:横須賀海兵団に入隊一カ月。長編アニメ「桃太郎海の神兵」音楽。娘2人を福島へ疎開させ、東京で作曲を続ける。終戦

古関裕而年譜その1:1909-1930

古関裕而(1909-1989)の年譜、東京にでてくるまでです。

西暦(和暦)年齢:ことがら

  • 1909(明治42)0:8/11福島県福島市に生まれる。本名勇治。
  • 1916(大正5)7:福島県師範附属小学校入学。
  • 1918(大正7)9:卓上ピアノを買ってもらう。3年からの担任遠藤喜美治が童謡作曲を指導。
  • 1920(大正9)11:ハーモニカ独習、セノオ楽譜をハーモニカ譜に直して吹く。
  • 1922(大正11)13:福島商業学校進学。
  • 1923(大正12)14:福島ハーモニカ・ソサイティー参加。和声学、対位法の勉強を始める。
  • 1925(大正14)16:「我国に於ける無線電信電話発達の概要」発表。
  • 1926(昭和1)17:作曲ノート作り始める。ペンネームは楽治雄(らじお)。
  • 1927(昭和2)18:このころペンネーム「裕而」とする。
  • 1928(昭和3)19:3月商業学校卒業。川俣銀行就職。この頃金須嘉之進から和声学を習う。これ以降どこかで山田耕筰と文通始める。
  • 1929(昭和4)20:英国チェスター楽譜出版社の作曲募集に舞踊組曲竹取物語」など5曲を応募。竹久夢二展を観て「福島小夜曲」作曲、以降夢二晩年まで交友。
  • 1930(昭和5)21:1月古関の入選が新聞報道。豊橋の内山金子と文通始まる。5月銀行退社。6月結婚。9月上京、10月コロムビア専属契約。「大地の反逆」披露。同期に古賀政男。菅原明朗と出会う。

参考:刑部芳則古関裕而:流行作曲家と激動の昭和』中公新書、2019

1964年10月のN響演奏会

片山杜秀さんのNHK-FM「クラシックの迷宮」、ニッポニカ第37回演奏会の曲目が2曲も取り上げられます。その入野作品、三善作品、そして武満徹「テクスチュアズ」は、1964年10月に4回にわたって開催された「オリンピック東京大会協賛芸術展示 NHK交響楽団特別演奏会」で初演されました。ニッポニカ第37回演奏会は秋に延期になりましたが、準備はすこしずつ進めているところです。

2020年4月25日土曜 NHKFM 午後9時00分~ 午後10時00分
▽1964年10月のN響演奏会 ~NHKアーカイブスから~

https://www4.nhk.or.jp/classicmeikyu/x/2020-04-25/07/72506/4756381/

*参考

作曲家・古関裕而のバック音楽集

片山杜秀さんの「クラシックの迷宮」で古関裕而が取り上げられました。「バック音楽」とは、放送と放送の間に流される音楽です。

3月28日土曜 NHKFM 午後9時05分~ 午後10時05分
▽作曲家・古関裕而のバック音楽集~NHKアーカイブスから~
楽曲

  • 「スポーツ放送テーマ “開始A(OKテイク)”“開始B”“終了”」 / 古関裕而:作曲(1分46秒)<~NHKアーカイブスから~>
  • 「“ひるのいこい”のための音楽(M1、M3、M4、M5、M6)」 / 古関裕而:作曲(11分22秒)<~NHKアーカイブスから~>