『海のロマンス』で一躍海運関係者に評判となった米窪太刀雄(満亮)ですが、次作『船と人』の出版により、日本郵船はじめ大手船会社から忌諱されてしまいました。そして1914年商船学校を卒業後は、松昌洋行という小さな船会社に就職しました。間もなく船長に昇進して経験を積み、それを「マドロスの話」として東京朝日新聞に連載しました。この連載に加筆して1916年に出したのが、『マドロスの悲哀』です。挿画は『船と人』と同じ名取春仙、装幀と扉は藤澤龍雄。
タイトルの「悲哀」は「ひあい」と読むといかにも過酷な船員物語のようですが、米窪は「かなしみ」とルビを振っています。そして第1章で「船乗りの悲哀(かなしみ)」として、粗食に耐え、不眠と不休に泣き、酒と女から絶縁し、陸上に於ける享楽と没交渉となる、といったことを挙げています。しかしこの本で繰り返し述べられているのは、魅力あふれる海洋精気(メル・エスプリ)についてであり、読後に残るのは米窪がいかに海に魅入られているか、という印象です。特に第13章では、セントヘレナからリオへの航海途上で見た世にも美しい夕暮の色を詳細に描き、この感動を思い出す度に、「マドロスの悲哀」を忘れる、と書いています。
目次は次の通りで、伊藤昇『マドロスの悲哀への感覚』に直接関係するのは★印のところです。
米窪太刀雄『マドロスの悲哀』(誠文堂書店、中興館書店、1916、314p)
第15章では、前書『船と人』で著した船上の実態が日本郵船の忌諱に触れたことを書いています。米窪はその後労働運動に尽力し、1937年に衆議院議員、戦後1947年には片山内閣で初代労働大臣を務め、1951年に東京で没しました。
【参考】
- 伊藤昇『マドロスの悲哀への感覚』その1:『海のロマンス』
http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20171008
- 伊藤昇『マドロスの悲哀への感覚』その2:『船と人』
http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20171009