ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

伊藤昇『マドロスの悲哀への感覚』その1:『海のロマンス』

 第32回演奏会でとり上げる伊藤昇作曲『マドロスの悲哀への感覚』のスコアには、タイトルの後ろに「Yonekubo Tachioの作品に拠る」という言葉がフランス語で書かれています。2005年にこの曲を演奏した際、米窪太刀雄という人が書いた『マドロスの悲哀』という本があることがわかりました。さらに先行する『海のロマンス』という本もあり、両方古書店で入手しましたが、当時は充分に読む時間がありませんでした。この度12年ぶりに書架から2冊を取り出し読んでみましたので、まず『海のロマンス』からご紹介します。

■『海のロマンス』概要

 長野県出身の米窪太刀雄(よねくぼ・たちお、本名は満亮(みつすけ)、1888-1951)は東京商船学校の実習生として練習船大成丸に乗りこみ、1912年(明治45)から翌年にかけ1年3ヶ月に渡る世界一周訓練航海をしました。彼が付けていた航海日記は東京朝日新聞に「大成丸世界周航記」として「太刀雄」の名前で連載され、1914年に『海のロマンス』という書名で出版されました。訓練の合間に書かれた文章からは、航海の魅力と寄港地の見聞が活き活きと伝わってきます。夏目漱石が絶賛し序文を寄せているこの本の目次と主な内容は、次の通りです。伊藤昇は当時10歳でしたが、総ルビ付きの新聞連載を読んでいたでしょうか。

米窪太刀雄『海のロマンス』 (誠文堂書店、中興館書店、1914、574p)目次と内容

  • さらば芙蓉峰:大成丸に乗船し、館山から出帆(しゅっぱん)するまでの準備の様子。芙蓉峰は富士山のこと。
  • 帆船のロマンス:館山出帆から、米国サンディエゴに着くまで45日間の航海記。
  • アンクルサムと彼の郷土:サンディエゴでの47日間の米国滞在記。船長交代で滞在が延びた。
  • 百十七日陸を見ず:サンディエゴ出帆から翌1913年南アフリカケープタウン入港まで、117日間の航海記。
  • 南阿の南端ケープタウンでの14日間の滞在記。
  • セントヘレナケープタウン出帆から、イギリス領セントヘレナ入港までの18日間の航海記、そして出帆までの5日間の滞在記。セントヘレナ島は1815年にナポレオンが流されたことで有名。
  • 鹿と亀とカメレオンセントヘレナ出帆から、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ入港まで28日間の航海記。漱石の『猫』を模して、動物の眼から見た船の様子。
  • 南米の美都リオ・デ・ジャネイロでの18日間の滞在記。
  • 惨憺たる航海を続けてリオ・デ・ジャネイロ出帆から、オーストラリアのフリーマントル入港まで91日間の航海記、そして出帆まで21日間の滞在記。
  • 南洋より故国へフリーマントル出帆から、インドネシアのビマおよびアムボイナ入港まで、そして出帆まで19日間の航海記と11日間の滞在記。更に館山へ帰港するまで21日間の航海記。

 なおこの本は国立国会図書館のデジタルコレクションに収録されており、下記から本文を読むことができます。

 新聞とこの本は当時広く読まれ船員へ憧れた人が多かったらしく、1984年に(財)日本海事広報協会から復刻版が出ています。付録の小冊子には次の小文が寄せられていて、人々の心をいかに広くとらえたかが伝わってきます。

『海のロマンス』とわたし : 復刻出版に寄せて

 わが社出版物の金字塔 / 誠文堂新光社社長 小川茂男
 海の大自然と人間との調和 / (社)日本船長協会会長 川島裕
 第三世に生きるその伝統 / 運輸省航海訓練所長 鶴岡武
 私の進路をきめた本 / (社)全日本船舶職員協会会長 和田春生
 蘇える海の青春 / 東京商船大学学長 鞠谷宏士
 沈黙の海運界に一石 / (社)海洋会会長 南波佐間豊
 帆船教育のすばらしさ / (財)日本海技協会会長 青山三郎
 海のロマンに変わりはない / 全日本海員組合長 土井一清
 海運変革期の指針 / (社)日本パイロット協会会長 小池三雄
 未知の世界へのあこがれ / 神戸商船大学学長 松本吉春
 労働大臣時代の米窪さん / (財)海難審判協会理事長 柳沢厚
 いまは亡き主人の最高の書 / 米窪澄子
 米窪君とわたし / 元大阪商船船長 森勝衛