ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

芥川也寸志先生のこと

 今日の秀美さんの練習でソ連の話がでてきたので、芥川先生没後1周年演奏会のプログラムに書いた文章を思い出しました。今から20年前には、こういうふうに感じていたことを載せておきたいと思います。そして今日また新しい演奏者によって芥川先生の音楽が演奏されるのが嬉しいです。

子守歌、ソ連、中国のことなど
 図書館で楽譜の整理の仕事をしていた頃、芥川先生の曲もいくつか手にする機会があった。それらはオーケストラの曲ではなく、子供のためのピアノ曲や歌曲だった。新響で芥川先生の曲というと、あの土俗的なリズムやしつこいまでのオスティナートを思い浮かべるが、先生の別の一面を表しているのが、子供のための多くの作品だと思う。有名な「ぶらんこ」や、トリプティークの2楽章の子守歌には、先生の子供に対する深い愛情がにじみ出ている。演奏会の後の打上げの席で団員の子供を見つけると、いつもの厳しい表情が一転して優しい笑顔に変わられたものだ。
 打上げではよく、ソ連や中国の話をされていた。新響ではショスタコーヴィチをはじめ、チャイコフスキーストラヴィンスキーなどロシアの音楽家の作品を、数多く指揮された。先生の作品にもそれらロシア音楽の影響が強くみられる。だいぶ昔に新響とソビエトに演奏旅行に行かれた程、先生と彼地との関係は深い。また先生は、中国の音楽家との交流も盛んに行われていた。新響で中国作品展をやった時も、わざわざ上海から作曲家とソリストを招き、団員と親しく音楽作りをしたのはまだ記憶に新しい。現在の東欧や中国の一連の動きを思う時、先生が生きておられたらどんな感想を持たれただろうと考えると、ある種の感慨を禁じ得ない。
 このところノーブレス・オブリージュnoblesse oblige=高い身分に伴う義務)という言葉がずっと気になっている。先日読んだある人の解釈によれば、「エリートが尊敬されるのは他の人より優れたものを持っているからではなく、その優れた資質や地位を活用して、それらを持っていない人を体を張って守るからだ」ということである。芥川先生の生きかたを思う時、この言葉がどうしても重なってみえる。音楽を通じてソ連や中国との国際交流に尽くされたこと、日本の音楽著作権運動の先頭に立って活躍されたこと、子供のために優れた音楽をつくること、また新響をはじめアマチュア演奏家の育成に心を砕かれたことなど、数え上げたらきりがない。
 新響との30年を越える関係の間には、団員との意見が衝突したり必ずしも順調な場面ばかりではなかったが、それにしても私たちが先生から受け取ったものの重さは余りにも重たい。先生の曲を演奏しながら、その重さをどれだけ次の人達に伝えられるだろうか、という思いが頭の中から離れない。
 新響に入って10年以上たつが、練習でも合宿でも芥川先生は近寄りがたく、個人的にお話したことはほとんどない。それが先生が入院された時と一時退院された時、我が家に直接電話が入った。それは新響の役員をしている夫宛てのものだったが、2回とも夫は不在だったので私がお話を伺った。練習時の厳しい口調とはうって変ってとても丁寧で、どちらかというと弱々しいお話しぶりだった。その時はまさかと思ったが、亡くなられた時その声を思い出して、涙がとまらなかった。
(Vla門倉百合子 1977年入団)


出典:「追悼・芥川也寸志:音楽はみんなのもの」(新交響楽団、1990)
http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20110527