ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

「ベトナムとの出会いと図書館」

 2007年の演奏旅行で初めてベトナムを訪れたことを書いた文章がありますので、下記に転載いたします。

ベトナムとの出会いと図書館
 昨2007年11月にベトナムへ行く機会があり、ハノイに1週間ほど滞在した。それまでベトナムのことはほとんど何も知らなかったので、旅行の半年ほど前から歴史の本など何冊か読んでみた。すると意外にも昔から日本とのつながりがいくつもあることがわかってきた。
 ベトナムは紀元前の漢の時代から千年に及ぶ中国の支配の後、939年に独立する。民族王朝の時代が続いた後、1858年からフランスの支配下に置かれ、1940年から45年には日本軍が進駐する。その後インドシナ戦争を経て1954年ジュネーブ休戦協定で南北に分断、そして1975年に北の軍事力による南北統一の実現、という歴史を持っている。地理的に中国の南に隣接しており、中国の直接支配期もその後も、中国文化の強い影響を受けていた。日本と同じく漢字を使っていたのもその現われである。現在のベトナムはローマ字表記のベトナム語を使っているが、それはフランスが持ち込んだもので、それ以前は漢字や漢字を応用したチュノムと呼ばれる文字が使われていた。現代の若いベトナム人は漢字を読めないが、寺院などの看板にはまだ多くの漢字が残っている。
 民族王朝の時代の半ば、中国をモンゴルが支配していた13世紀の元の時代、日本は2回の元寇を追い返しているが、同時期にベトナムは3回もの侵攻を跳ね返している。遠くヨーロッパまで領土を広げた元であるが、アジアでは日本とベトナムだけは侵略をまぬがれた。20世紀には、ベトナムだけはアメリカとの戦争にも打ち勝っている。(あの戦争はベトナムではアメリカ戦争と呼ばれていることも、いわれてみればもっともである。)
 その20世紀初頭には、明治維新を成功させた日本に学ぼうと、何百人ものベトナム人が日本に留学している。また福澤諭吉慶應義塾にならい、ハノイに東京義塾という私塾が作られ、近代化を目指す教育が実践された。しかしながらこれらの試みは、ベトナム宗主国フランスや、そのフランスとの友好関係を維持したかった当時の日本政府により、発展を阻まれている。
 歴史の本だけでなく、その国の小説も読んでみようと、まずは国立国会図書館NDL-OPACの件名に「ベトナム」「小説」と入れて検索したところ、何冊かヒットした。その中から『ディエンビエンフーの時計屋』という本を、金沢の古書店から買うことができた。これは副題が北ベトナム小説集(1945−1964)という短編集で、日本人と結婚して来日したベトナム人女性を仲立ちに、複数の現代ベトナム人の作品を金沢エスペラント会が翻訳したものである。標題の小説の中身は、爆撃を逃れるための地下防空壕に開設された臨時時計店が舞台で、兵士たちの心情が実によく伝わってくる物語である。ディエンビエンフーは1954年ベトナムフランス軍に勝った記念すべき地名であることも、よくわかった。
 さて旅行に行くとその土地の図書館を訪れることにしているので、ベトナムの図書館についてもすこし調べてみた。今度は国立国会図書館雑誌記事索引で、タイトルに「ベトナム」「図書館」と入れて検索すると、数件の記事がヒットした。その中の「ベトナムの図書館の概要」という『カレントアウェアネス』の最近の記事は全文が公開されており、すぐに読むことができた。それによるとベトナムの図書館は、その時々の支配層の意向を反映した変遷をしていて、1954年以降は北ベトナムにはソ連の、南ベトナムにはアメリカのシステムが導入されていた。現在は多くの困難を抱えつつも、公共図書館、学術図書館、専門図書館などのシステムが徐々に整備されてきているとのことだった。

 いよいよ出発の日となり、成田からベトナム航空の飛行機でハノイへ飛ぶ。5時間半ほどでハノイ郊外のノイバイ空港へ到着した。スケジュールに1日空きがあったので、すぐ現地の旅行社に図書館の見学をたのんでみた。するとなんと国立図書館(National Library of Vietnam)と連絡をとってくれたので、指定の日時にハノイ中心部に位置する建物へ足を運んだ。前日の11月25日には丁度創立90周年の記念行事が行われていて、フランスの植民地時代に建てられたという瀟洒な建物には、たくさんの花束が飾られていた。旅行社からの紹介状を示すと、国際交流の部署の職員の方が、英語で丁寧に案内をして下さった。
 英語のパンフレットによると、1917年に仏領インドシナ政府の元に設立されたこの図書館は、当初インドシナ中央公共図書館(Central Public Library of Indochina)と名づけられた。1935年には総督の名前をとってピエール・パスキエ図書館(Pierre Pasquier Library)となり、1945年の独立後は国立図書館と改名された。初期のころは数千冊の蔵書であったが、現在は図書・雑誌・学位論文・マルチメディア等120万冊のコレクションがある。
 案内の女性職員の方によると、この国立図書館は研究者と学生に開放されているそうで、閲覧室にはたくさんの利用者が熱心に蔵書に見入っていた。蔵書には古い時代のものも含まれていて、漢字で記された書物もたくさん見ることができた。蔵書の保存のためには日本からも協力を得ているとのことで、たまたまその日に修復の仕事で日本から来られていた旧知のYさんと、書庫内で出会うことができたのは奇遇であった。
 館内には昨日オープンしたばかりという、「韓国の部屋」というのがあった。そこは韓国企業の寄付で構築された韓国語の書籍・ヴィデオのコレクションが置かれていて、壁面のスクリーンには韓国映画も上映されていた。ハノイ市内にも韓国企業の看板はあちこちにあり、オートバイも韓国製のものがたくさん見受けられた。日本企業もいくつも進出しているが、図書館へ寄付したという話は聞かない。利用者には日本語も韓国語も人気があるそうで、分野も経済・技術関係の蔵書が多く使われているとのことだった。

 図書館もハノイ自体も短時間の訪問であったが、初めてにもかかわらず、なぜかなつかしい空気と時間の流れを感じることができた。多くのベトナム人は小柄で顔つきも日本人とあまり区別がつかない。米が主食であることも似ている。若い世代が多くものすごい勢いで経済発展しているのが、日本の高度経済成長年代を思いださせる。そういった感覚にまた触れてみたく、今年もこの6月に再訪を果たしてしまった。今回はこの国の抱える種々の問題も垣間見ることができたので、また別の機会にそれを記してみたい。
門倉百合子


主な参照文献
・ 小倉貞夫『物語ヴェトナムの歴史』(中央公論社 1997)(中公新書
・ 金沢エスペラント会婦人部共訳『ディエンビエンフーの時計屋』([金沢エスペラント会婦人部] 1975)
・ Nguyen Hoa Binh「ベトナムの図書館の概要」(『カレントアウェアネス』290号2006.12.20)


初出:『ふぉーらむ 第5号』(図書館サポートフォーラム、2008)