ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

高橋アキと作曲家たち

 高橋アキ『パルランド:私のピアノ人生』には多くの作曲家との交流が記されています。目次に出ている名前の外にも、本文中にある作曲家をいくつかピックアップしました。

「Part2 (2) ドロップ・サウンドの快感」より
…芸高のソルフェージュの授業に宅孝二先生がいらしていてね。戦前パリで勉強された先生。でもめったに学校に来ない。ほかにもソルフェージュは毎週の授業があったけど、ボヘミアンみたいな宅先生はすごく人気があってね。(中略)あるとき、授業中に[サティの]《梨形の小品》を連弾でやろうということになって、宅先生と私が弾いて、こんな洒落たすてきな音楽があるんだとびっくりした。(p48-49)

「Part4 (5) 挑戦、現在進行形」より
…あと、静岡音楽館の企画委員も、今年で辞めましたけど、九六年からずっとやっていましたね。
<インタビュアー:間宮芳生さんがチーフの。>
 そうです。最初の十年間は間宮さん。とても熱心になさっていたけれど十年で勇退されて、いまは野平一郎さんね。私も企画委員としていっぱい企画を出して、いろいろとやらせていただきましたけど、この間の「ケージ生誕一〇〇年」を最後に降りました。(p112)

「Part4 星のエチュード 2 ジャチント・シェルシ : 霊感の音楽」より
…十二年前、彼[ジャチント・シェルシ]の家を初めて訪れた時の印象は鮮烈だった。ローマの中心にある中世風の立派な彼の家。彼は伯爵なのである。その四階のバルコニーから見た満月に照らしだされた古代ローマの遺跡。ダリの大きな絵を背にして彼から聞いた話(中略)。シェルシの作曲の方法とは、ひたすら瞑想して霊感を待つ。ひとたび霊感を感ずるや、すぐに傍らのテープ・レコーダーをまわし、ピアノに向かう。あとでその録音された音を写譜する。(p137)

「Part6 (1) バッハ : 思い出の《ゴルトベルク変奏曲》」より
 バッハの音楽というのはあまり楽器にこだわっていないというか、超越したところがありますからね。《フーガの技法》はもちろんそうだけれど、《平均律》にしても、クラヴィコードでもチェンバロでもオルガンでも、それぞれその曲が必要とするようなものに合わせて弾いたりとかしていますよね。多様な演奏の可能性がある。野平一郎さんの試みにもあるように。そういう意味で非常に抽象的な書き方でも、それをどういうふうに楽器の中で最大限の可能性を生かせるかというので、大いに現代のピアノでも可能性があると思う。(p198)

「Part7 コソボへの旅」より
 この団体[反核・日本の音楽家たち]は、ちょうど二十年前に故・芥川也寸志さんたちが呼びかけて、核廃絶と戦争のない平和な世界を願ってジャンルを問わない音楽家たちによって結成された。そしてコンサートを開くほか、平和のためのさまざまな活動を続けている。そしてこの「反核・日本の音楽家たち」が母体となって、一九九九年六月に東京で熱気あふれる緊急支援コンサートが実現したのだった。(p289)

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