三善晃(1933-2013)は1955年からのパリ留学中に、矢代秋雄(1929-1976)にであいました。矢代が留学していたのは1951年から56年ですので、2年ほど時期が重なっています。矢代の遺稿集は三善晃の編集ですので、交流の深さがうかがえます。
オマージュ 矢代秋雄
1955年にパリで、先輩としての矢代さんを識ってから、私の音楽行為のすべては、矢代さんの存在を抜きにはありえなかった。たとえば作曲中、矢代さんはこの曲をどう聴くだろうか、という思いが、常に私の心の深いところを、固く噛んでいた。それは私の筆を、遅らせもし、進ませもした。そして矢代さんの評言は、必ず、私の作業の真の難所に触れたものだった。(p82)(1976年)
矢代秋雄『オルフェオの死』から(8)三善晃 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20150222/1424615167