ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

ブリテン『シンフォニア・ダ・レクイエム』解説

 ブリテンの作品は日本の紀元二千六百年奉祝演奏会に寄せられた曲ですが、演奏はされませんでした。その経緯には諸説ありますが、Boosy & Hawkes社のスコアの前書きには、次の内容が英独仏の三か国語で書かれていました。この曲の部分を抽出した拙訳を載せておきます。

1939年9月、ブリテンは日本政府から、皇室の2600周年を記念した楽曲の委嘱を受けた。第二次世界大戦が始まっていたが、日本はまだ参戦していなかった。ブリテンは彼の最も重要な作品である『シンフォニア・ダ・レクイエム』を作曲したが、これは戦争に対する憎悪と哀しみを写実的に表現したものだった。この作品は、ブリテンキリスト教典礼を参照したこと(彼は事前にこのことの承認を受けていたが)は無礼であると憤慨した日本の外務省によって拒否された。おそらく作品の厳しい主旨は、委嘱者にとって本当に受け入れがたいものだった。この曲は1941年3月29日ニューヨークにて、ジョン・バルビローリ指揮により初演された。


本格的な交響曲に対して、この作品は3楽章で、切れ目なく演奏される。各楽章の性格とタイトルは鎮魂ミサの断片を想起させ、戦争期の短い器楽レクイエムとなっている。第1楽章「涙の日(Lacrymosa)」は葬送行進曲の性格で、冒頭のティンパニの打音はライトモチーフとしてこの楽章を支配しており、猛烈なスケルツォの第2楽章「怒りの日(Dies irae)」へと高まっていく。第3楽章「永遠の安らぎ(Requiem aeternam)」は、ゆっくり動くサラバンド(3拍子の緩やかで荘重な舞曲)のようで、この作品を寒々とした不安定な終結に導いている。