ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

石井眞木と日独現代音楽祭/パンムジーク・フェスティヴァル/東京の夏音楽祭

 『西の響き・東の響き:石井眞木の音楽』の年譜から、日本での音楽祭との関わりを抜粋しました。

西暦(年齢)音楽祭との関わり
1967(31)2月「第1回日独現代音楽祭」(東京ドイツ文化研究所主催)の企画構成、開催を行う(入野義朗、福島和夫、諸井誠と共同で)。
1968(32)2月「第2回日独現代音楽祭」の企画構成(同上)を担当。
1969(33)2月「第3回日独現代音楽祭」の企画構成を担当。
1970(34)2月「第4回日独現代音楽祭」の企画構成を担当。
1971(35)2月「第5回日独現代音楽祭」企画構成。同音楽祭で日本初の「遊歩音楽会」を一柳慧らと共に開催。
1972(36)2月「第6回日独現代音楽祭」企画構成。
1976(40)1月「第1回パンムジーク・フェスティヴァル」(日独現代音楽祭の新たな継続として/東京音楽企画研究所・東京ドイツ文化研究所共催)の組織・運営・企画構成を行う(入野義朗、福島和夫らと共に)。同時に、「第1回現代演奏コンクール」(日本の伝統楽器による)−新しい伝統の創造へ−」を企画・開催。
1977(41)5月「第2回パンムジーク・フェスティヴァル」企画構成(第II回現代演奏コンクール(日本の伝統楽器による)−新しい伝統の創造へ−」同時開催)。
1978(42)2月「第3回パンムジーク・フェスティヴァル/パート1」企画構成。6月「第3回パンムジーク・フェスティヴァル/パート2」企画構成。
1979(43)9月「第4回パンムジーク・フェスティヴァル」、「第III回現代演奏コンクール(日本の伝統楽器による)−新しい伝統の創造へ−」開催。
1980(44)9月「第14回パンムジーク・フェスティヴァル」(この回より1967年「第1回日独現代音楽祭」よりの通算の回に変更)、「アドホック・クリティックス」(批評のコンクール)同時開催(入野義朗と共同で企画構成)。
1981(45)11月「第15回パンムジーク・フェスティヴァル」企画構成(W.ブルデと共に/テーマ:「ベルリン・イン・ジャパン」)。
1982(46)9月「第16回パンムジーク・フェスティヴァル」企画構成(副島輝人、J.E.ベーレントと共に/テーマ:「ジャズと現代音楽」)。
1984(48)7月「第17回パンムジーク・フェスティヴァル」企画構成(テーマ:演奏における熟成と変換)。
1985(49)7月「第1回<東京の夏>音楽祭」の企画構成、開催(船山隆、江戸京子と共同で担当/テーマ:<音楽・エキゾティシズム・オリエンタリズム西洋音楽の熟成と変換−>)。
1986(50)7月「第2回<東京の夏>音楽祭」の企画構成(江戸京子と共同で担当/テーマ:「汎民族主義の音楽−ロシア・ソヴィエト音楽を中心に>)。
1987(51)7月「第3回<東京の夏>音楽祭」の企画構成(江戸京子と共同で担当/テーマ:「創造と演奏・民族性を超えて」−アメリカ音楽を中心に)。