18歳になって商業学校を卒業した大木は三十四銀行広島支店に就職しました。文学サークルの同級生の多くは文壇に主流的な勢いを占めている早稲田大学へ入っていきました。単調な銀行の仕事でしたが、宿直の夜には田山花袋『田舎教師』、ショーペンハウエル『意志と現識としての世界』、徳富蘆花、メーテルリンク、タゴールなどを読みふけりました。銀行の宴会で酒も覚え、妓楼へも登り始めました。
ある日アメリカの恵子から、満たされぬ思いの手紙と写真とネクタイピンが届きました。大木は絶望感の思いを返信します。そして21歳になるころにはいっぱしの遊蕩児になっていました。
月あをむ蘆原にきて
聴き入るは、海の遠音(とおね)に絶えつづく
こほろぎのこゑ。こひ人よ、おんみは遠く
わが心、秋風のなかに棲む。
― 傷心