ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

松村禎三の著作を読む【1】

ニッポニカ第38回演奏会でとりあげる作曲家、松村禎三(1929-2007)の語る世界をたどってみます。

「わが作曲語法」

1929年京都の商家に生まれたこと。仏教徒の家。10歳で父が亡くなり、クラシックのレコードを聴き、レコードコンサートでベートーベンの第5交響曲に感動。16歳で戦争が終わり、高校ではピアノを弾き、20歳で卒業後、母を亡くし、上京。池内友次郎に師事、フランス仕込みの音楽様式を学ぶ。

東京藝大を受験するも結核がみつかり、5年半ほどサナトリウムで療養する。回復期に書いたオーケストラ曲が「毎日コンクール」で1位となる。

西洋音楽の成熟と衰退を感じ、「音楽というものは、生命の深いところに響いてくるものでなくてはならない。その美しさが、人々に、今日生きてそれを聴く喜びを持たせるものでなくてはならない」と考える。インドの芸術のエネルギーに刺激され、6年程かけて『シンフォニー(交響曲第1番)』を作曲。

西洋の調性でなく、アジアにおける一つの調性、「一つの中心音を持つ」という発想に魅力を感じる。1971年に憧れのインドを旅行。帰国後書いた『ピアノ協奏曲第1番』では、全曲に渡りピアノがC#を鳴らし続け、このドローンがあるからこそ自由に楽想をふくらませることができた。

日本の伝統文化の美意識に深く共鳴するようになり、日本画、能、古事記などを素材に作曲。さらにカンボジアアンコールワット遠藤周作の『沈黙』を題材に作曲。形而上的なものに向かい合う。
(初出:ニューヨーク・アジアソサエティ講演 1994年3月)
出典:『松村禎三 作曲家の言葉』(春秋社 2012年)p3-15より抜粋編集

■参考
松村禎三の著作を読む【2】
https://nipponica-vla3.hatenablog.com/entry/2021/06/08/055314