ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

タンスマン歓迎レセプション

1933年アレクサンドル・タンスマンの来日中、3月22日午後6時から新興作曲家連盟主催の歓迎レセプションが開かれました。

新興作曲家連盟とは、作曲家箕作秋吉と小松平五郎の呼び掛けに応じて1930年に結成された作曲家グループで、現在の日本現代音楽協会の前身です。松平頼則もこれに加わっていました。

「タンスマン氏に音楽を聴く」と題した雑誌『音楽評論』の記事には、レセプションの模様が記載されています。それによると、概要は次の通りでした。

  • 出席者:タンスマン、高野、大田黒元雄、塩入亀輔清瀬保二、古岡[古関]裕而、伊藤昇、橋本國彦、吉田たか子、大木正夫、鯨井孝、山本栄、守田正義、松平頼則、太田忠、箕作秋吉、諸氏。
  • 会食後、来会者のリクエストに応じタンスマンは「Sonata rustica」「マヅルカ」を演奏し、曲の構成、ハーモニー、ソナタ発展部の特異性、リズムなどについて詳細な解説を加えた。
  • 大田黒元雄の歓迎の辞、タンスマンの答辞

ニッポニカ第35回演奏会のチラシ裏に載っている写真はこの時のもので、写っているのは後列左から、一人おいて守田正義、山本栄、鯨井孝、大田黒元雄、大木正夫、吉田隆子、橋本國彦、伊藤昇、古関裕而清瀬保二。前列左から松平頼則塩入亀輔、タンスマン、太田忠、箕作秋吉。鯨井はバリトン、大田黒、塩入は評論家。このように連盟には演奏家や評論家も参加していました。

連盟の記録には、レセプションの会場が「中央亭」と書かれています。この中央亭は、1899年に建設された丸ノ内三菱八号館のテナントに入っていた、宮内庁御用達のフランス料理レストランと考えられます。三菱財閥岩崎弥之助パトロンで、創業者は渡辺鎌吉。店名は当時計画されていた東京中央停車場(東京駅)に因んだとのこと。

参考

  • タンスマン氏に音樂を聴く / 編輯部(音楽評論 創刊号、1933年4月、p83-85)
  • 『戦前の作曲家たち:ドキュメンタリー新興作曲家連盟:1930-1940』国立音楽大学附属図書館, 1990