作曲家・矢代秋雄は1976年に急逝しましたが、その2年後に音楽之友社から、矢代の作品をまとめた全集が刊行されています。全12冊で監修は池内友次郎と三善晃、全部で100部作成されたとのことで、市販でなくおそらく関係者に配布されたと推察されます。代表作の楽譜が収められ、『矢代秋雄 人と作品』と題された第10冊には、関係者の文章も掲載されています。
第10冊の詳細は次の通り。
矢代秋雄全集 10.『矢代秋雄、人と作品』
(1)自筆譜ファクシミリ…4
ピアノのためのソナチネ/ヴァイオリンとピアノのためのソナタ/ピアノ協奏曲/ヴァイオリンとピアノのためのセレナーデ/交響的小品/ヴァイオリン協奏曲(遺稿)
(2)矢代秋雄について
- 高貴 / 池内友次郎…86
- 清潔なナルシシスムの時間 / 遠山一行…87
- 矢代秋雄とエクリチュール / 野田暉行…96
- 声とエクリチュール:矢代秋雄論 / 船山隆…104
- 編集協力を終えて / 三善晃…124
(3)年譜・著作目録・フォトアルバムより…132
さて、このパリ国立音楽院の書式を最初に日本にもたらしたのは先程の池内友次郎先生であった。海のものとも山のものとも判らぬこれらの領域に、あくまで身を投じられた先生の意気に感嘆する他ない。明治の人の意気や高し。
そして終戦後間もなく先生が芸大へ教授として赴任された頃、そのクラスの生徒となったのが、島岡譲氏であり、少し遅れて矢代秋雄氏と黛敏郎氏だったのである。ある時、池内先生は一題の和声の課題を示された。「その時の島岡君や矢代君の反応は本当に印象的だった」と先生はよく話しておられる。突然目がきらきらと輝いたそうである。矢代氏は「こんなものがあったのですか!」と感嘆の声を上げたという。その時まで、何か、もやもやとして喰い足りなかった部分、もう一つ音楽そのものに近寄れないもどかしさのようなものが、一挙にその時吹っ切れるような感じがしたのではないだろうか。(p98)