『日本洋楽外史』第4章は間奏曲として、近衛秀麿(1898-1973)、フランス音楽輸入パトロンの薩摩治郎八(さつま・じろはち、1901-1976)らを紹介しています。
■日本洋楽外史 : 日本楽壇長老による体験的洋楽の歴史 / 野村光一,中島健蔵,三善清達(ラジオ技術社,1978)
野村「私はね、文学にしても美術にしてもみんな個人企業だと思うんですよ。けど音楽は個人企業であり得ない面を持っている。ことに演奏面はそうですよ。作曲は比較的個人企業に近いけど、演奏、例えばオーケストラや合唱の場合、チーム・ワークがとれてなきゃならないという要素を多分に含んでいるでしょう。」「オーケストラはアンサンブルを要求する一番基本的なものだから、近衛さんもいろいろ問題はあったにせよ、やったことについては大変な意義を持つということになるんだね。」(p147)
野村「とにかく[薩摩]治郎八さんは第一次大戦直後にフランスへ行くでしょう。そして芸術運動に理解があったものだから、音楽だけじゃなく、広くフランスの文壇や社交界に入りこんじゃった。それで他の方面のこともやられたけど、音楽の方では忽ちジルマルシェクスを引張ってきた。ジルマルシェクスは当時パリ音楽学校を出たばかりの名もない男だったけど、コルトーの弟子なんですよ。」(p151)
参考
- ニッポニカ第24回演奏会プログラム
近衛秀麿編曲『フランス17世紀歌謡集』(1929)を演奏しました。 - 『近衛秀麿 : 日本のオーケストラをつくった男』目次
- 「戦火のマエストロ・近衛秀麿」