ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

日本洋楽外史(その4)間奏曲(人物外伝)

 『日本洋楽外史』第4章は間奏曲として、近衛秀麿(1898-1973)、フランス音楽輸入パトロンの薩摩治郎八(さつま・じろはち、1901-1976)らを紹介しています。

■日本洋楽外史 : 日本楽壇長老による体験的洋楽の歴史 / 野村光一,中島健蔵,三善清達(ラジオ技術社,1978)

第4章 間奏曲(人物外伝)

 I ≪親方≫近衛秀麿
  近衛家のお家柄、白樺派とのつながり …136
  名実ともにお公卿さま、本格的指揮者の先達ア・ラ・フルトヴェングラー …139
  編曲者としての理念と実際、日本交響楽運動の第一功労者 …142
  音楽世界ならではのボス的存在≪親方≫衆 …145
 II 日本の洋楽界を支えた人々
  新交響楽団蔭の創設者−原善一郎 …148
  フランス音楽輸入の先駆者−薩摩治郎八 …150
  オークラロを発明したダンディ−大倉喜七郎 …154
  南葵文庫の開設者−徳川頼貞 …157
  日本洋楽界の精神的後継者−小宮豊隆 …160

野村「私はね、文学にしても美術にしてもみんな個人企業だと思うんですよ。けど音楽は個人企業であり得ない面を持っている。ことに演奏面はそうですよ。作曲は比較的個人企業に近いけど、演奏、例えばオーケストラや合唱の場合、チーム・ワークがとれてなきゃならないという要素を多分に含んでいるでしょう。」「オーケストラはアンサンブルを要求する一番基本的なものだから、近衛さんもいろいろ問題はあったにせよ、やったことについては大変な意義を持つということになるんだね。」(p147)

野村「とにかく[薩摩]治郎八さんは第一次大戦直後にフランスへ行くでしょう。そして芸術運動に理解があったものだから、音楽だけじゃなく、広くフランスの文壇や社交界に入りこんじゃった。それで他の方面のこともやられたけど、音楽の方では忽ちジルマルシェクスを引張ってきた。ジルマルシェクスは当時パリ音楽学校を出たばかりの名もない男だったけど、コルトーの弟子なんですよ。」(p151)