ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

イントナルモーリとマドロスと秋山邦晴

 イントナルモーリ(intonarumori)とは、イタリアの画家・作曲家ルイージルッソロ(Luigi Russolo, 1885-1947)が1913年に発明した、騒音楽器です。名称はイタリア語の「調律」(sintonia)と「騒音」(rumore)の合成語らしいです。秋山邦晴は著書『現代音楽をどう聴くか』(晶文社、1973)の「騒音の思想の先駆者ルイジ・ルッソロ」の章で、ルッソロとイントナルモーリについて詳しく紹介しています。
 それによると、1913年同僚のプラッテルラ(Barilla Pratella)の「未来派音楽」という曲に刺戟されたルッソロは、騒音を音楽のひとつの思想として打ち出すべきと考えました。そして六面体の箱に朝顔形のスピーカーを付け、器械仕掛けで様々な騒音をだすイントナルモーリを創作しました。1914年4月にミラノで初演された『都会の目覚め』他のルッソロ作品は、かなりな騒動を巻き起こしたそうです。その後ルッソロはロンドン、パリ、モスクワ、ウィーンなどでもこの楽器の演奏会を開いています。
 『マドロスの悲哀』の著者米窪太刀雄が1914年日本郵船の鹿島丸に実習生として乗船した際、同じ船に客として乗っていた岩村透男爵は、下船後ロンドンでこのイントナルモーリの演奏会を聴きました。その印象を1915年雑誌『美術新報』に、「不思議な器械に、異様な音響であるが為に、既に開幕前から嘲笑にどよめいて居った劇場は、幕の開くと同時に、ドッと笑い崩れた」と書き、続けて肯定的な印象を記しています。秋山邦晴に「日本の未来派音楽」といわれた作曲家・伊藤昇は、当時12歳でしたからこの記事を読んだとは思えませんが、長じてどこかで見たかもしれません。それにしても不思議な縁を感じます。(写真は『船と人』に寄せた岩村男爵の序文)
 このイントナルモーリは第二次大戦で失われましたが、1986年に秋山邦晴多摩美術大学で復元しています。そして秋山没後の2002年2月24日に、イントナルモーリを使った演奏会が同大学で行われました。演奏には大友良英らが参加し、録音はCDとして市販されました。大友良英のブログにイントナルモーリの写真が載っています。

■参考リンク

■参考文献