ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

比嘉美智子歌集『一天四海』

 ニッポニカ第30回演奏会で初演する中村透作曲『摩文仁(まぶに)〜白き風車よ〜』は、沖縄の歌人・比嘉美智子(ひが・みちこ)さんの短歌に縁のある作品です。比嘉さんは1935年沖縄県那覇市に生れ、那覇高校時代より短歌に親しみ、1955年に短歌結社アララギ土屋文明選)に入会。1958年琉球大学文理学部国文科卒業後は、高校の国語教師として教鞭をとられました。1974年第1歌集『月桃のしろき花びら』、1990年エッセイと評論『旅路遥けし』、1996年第2歌集『青き地球』、2005年第3歌集『一天四海』、2011年第4歌集『宇流麻の海』を刊行されています。現在も花ゆうな短歌会を主宰され、多くの後進を育てるとともに、ご自身も瑞々しい短歌を詠み続けてらっしゃいます。
 このたび近くの図書館で第1歌集以外を手に取ることができました。いずれも沖縄の自然と風物、人々の暮らしが豊かに詠まれた歌集です。また国内外の旅行の風景、教師として、家庭人として、さらに那覇家庭裁判所家事調停委員としての経験が詠まれています。戦時中は空襲や熊本への疎開を経験。戦後は1972年までの占領期を経て現在の基地問題渦巻く日常を詠み上げてらっしゃいます。沖縄戦最後の激戦地である摩文仁を詠んだ短歌も数多くありました。その中からいくつかご紹介します。

戦争を知らぬおさなら血を吸ひし摩文仁の坂を踏みしめのぼる
(『旅路遥けし : エッセイと評論』([比嘉美智子] 1990)所収)

 小さい子どもたちが摩文仁の丘へ向かう坂を上る風景。ご自分のお子さんかあるいは他の子どもたちか、いずれにせよ未来を背負う子らの風景です。

晦日摩文仁に平和を祈らんと松明うち振る青き瞳の人
(比嘉美智子『青き地球 : 歌集』(短歌新聞社 1996)所収)

 沖縄では大晦日に松明(たいまつ)を掲げて摩文仁の丘に登る習慣があるのでしょうか。その列の中に外国の人の姿を見て感じた希望が伝わってきます。作者還暦の歌集です。

悲しみも涙も昇天せしめむと摩文仁野に回る白き風車は
摩文仁野は甘蔗畑となり歳月に浄化されしか緑さやけし
(『一天四海 : 比嘉美智子歌集』(短歌研究社 2005)所収)

 一首目は2000年に摩文仁観光農園に設置された風力発電用風車によせて詠まれたもので、中村透作品の原風景の一つ。二首目の甘蔗畑(きびばた)は、砂糖甘蔗(サトウキビ)の畑が広がる摩文仁の風景。作者古稀の歌集。なお摩文仁の丘は現在、沖縄県平和祈念公園として整備されています。