ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

菅原明朗の語るガエタノ・コメリ

 ピッツェッティ『交響曲イ調』の初演を指揮したのは、イタリア人指揮者ガエタノ・コメリ(Gaetano Comelli, 1894-1977)でした。ミラノ出身のコメリは1927年に来日し、宮内省楽部の教師となりました。宮内省楽部の伶人(れいじん=雅楽演奏家)は、諸外国との交流のため西欧の音楽を演奏することも求められていたのです。指導者コメリについて、作曲家菅原明朗は次のように語っています。

「菅原明朗の証言」より
 この人[コメリ]は、日本のことをぜんぜん知らないでやってきて、宮内省のあの雅楽の中へ飛び込んでしまったんでしょう。
 ところが、このコメッリからいろいろなことを注意されて、逆に日本人にわからないことがわかった。まあ、ひとつの例ですが、欧州の音楽は協和音を基準にして不協和音を処理している。雅楽はちがう。不協和音を基準に協和音を処理しているって……。そして右方の舞の「貴徳」だったか……には、ワーグナーの<トリスタンとイゾルデ>と同じものがあると言うんだ。そんなものはないと言ったんだ。マエストロ、ぼくの言ったことを実証するからという。宮内省楽部だから、すぐにやってもらった。まさにそのとおり。逆に処理したら同じだった。
 コメッリは雅楽を二、三曲編曲していますよ。ことに<五常楽急(ごじょうらくきゅう)>はたいへんな傑作ですよ。雅楽のまねをしていない。これはなまじ日本人でなく、外国人だったからわかるんですね。そして素人じゃない。ただ、ふらりと旅行して聴いたのでもない。雅楽のなかに入って勉強したんです。あれなんかは、いま採りあげて、保存しないといけないですね。コメッリの自宅にひとつと、宮内省楽部にひとつ、編曲の楽譜があるだけです。
出典:秋山邦晴『昭和の作曲家たち』(みすず書房、2003)p48)