ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

菅原明朗とイタリア(1)

 作曲家菅原明朗(1897-1988)は自分のふるさとについて、第一は生まれ故郷の兵庫県明石をあげたあと、第二、第三のふるさとを次のように語っています。

 奈良は大正の後半七年ほどを暮した土地だが、生涯切り離せない第二のふるさとである。わたくしの歩むべき道、進むべき態度はここで定まった。コレッリやヴィヴァルディからバロッコの音楽に親しんだのも此の頃で、それとクラシーコの中間にあるチマローザを知るようになり、ハイドンモーツァルトの音楽に対する考えを一進した。奈良を放れて五十年以上にもなるのに、今行っても昨日まで暮らしていた町の様な気がする。
 ローマは行った回数こそ少ないが、全部を通算しても三ヵ年にならないだろう。それなのに、ローマは行こうと云うより、帰ろうと云う気がする。此の気持は最初の時からだった。東京は五十年も暮しているのに、ふるさとと云う感を一度も懐いたことが無い。仕事をしていて気分の一転に窓を開くと、遠くにピンチオの丘が見える錯覚を起す。ローマはわたくしの第三のふるさとである。したがって、今では一番身近なふるさとである。
出典:『菅原明朗 : 日本の交響作品展 5 』(演奏会プログラム)http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20100719