ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

ピッツェッティ略伝

 I.ピッツェッティ(Ildebrando Pizzetti, 1880-1968)の略伝で、紀元二千六百年奉祝会出版スコアに書かれているものです。表記は適宜現代仮名遣い等に改めました。

ピツェッティ略伝
 イルデブランド・ピツェッティは、西暦1880年9月20日に、イタリアのパルマに生れた。彼の音楽教育は、ピアニストであった彼の父に依って15才頃から始められた。比較的おそく音楽を習い始めたピツェッティは、その後の進歩に於いて父を驚かせるほど速く、間もなく入学したパルマ王立音楽学校の作曲科を予定より早く卒業してしまった程であった。その後のピツェッティは作曲と子弟の教育に専心していたが、程なく母校パルマ王立音楽学校に対位法の教授として迎えられた。1918年にはフィレンツェ音楽学校から同じく対位法の教授として招聘されフィレンツェに移った。5年後の1923年にはミラノ音楽学校の校長に任ぜられ、ミラノに転じて現在に及んでいる。
 この間に於けるピツェッティの創作活動は真に豊かなものであり、歌劇、管弦楽室内楽、声楽等、あらゆる種類の音楽に亘って数多くの作曲が成されている。現代イタリア音楽を背負う作曲家として、ピツェッティの外にフランツェスコ・マリピエロ、アルフレド・カセルラの二人を挙げ得るが、ピツェッティの芸術は清新にして、しかも珍奇に寄らず急激に変遷する音楽の激流の中に在ってよく己を持して溺れず、深くイタリア精神を探って清純幽玄なる境地に達した点に於て他の二人に優っているので、今回の奉祝楽曲の作曲者として彼が選ばれた事は誠に至当の事と思われる。
出典:「交響曲イ長調」スコア(紀元二千六百年奉祝会、1940)

 『クラシック音楽作品名辞典』の記述は次の通りです。

ピッツェッティ Ildebrando Pizzetti 〔伊〕1880〜1968
 近代イタリア音楽の復古主義を推進し、1917年カッセラ、マリピエロとともに<国民音楽協会>を結成。ルネサンスバロック音楽の精神にたちかえった純音楽の作品を残す。作品はあらゆる領域にわたって多数あるが、中世旋法の使用を特色とする。
(以下、歌劇2、付随音楽2、映画音楽1、管弦楽曲5、協奏曲3、室内楽曲7、合唱曲4、歌曲4、計28曲があげられている)
出典:クラシック音楽作品名辞典 改訂版(三省堂、1996)p648-650

  • ピッツェッティ『交響曲イ調』楽器編成

http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20160103/1451808155