ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

菅原明朗と『丘の上』

 慶應義塾のカレッジソングは勇壮な『若き血』が有名ですが、優美な詞とメロディの『丘の上』も親しまれています。この『丘の上』を1928年に作曲したのが菅原明朗(1897-1988)です。『若き血』は前年に堀内敬三(1897-1983)が作詞作曲したもので、慶應英文科出身の音楽評論家・野村光一(1895-1988)の推薦によるものでした。大阪生まれの野村は、明石出身の菅原と京都の中学で友人となっており、その縁で『丘の上』の作曲が菅原に依頼されたと思われます。二人は上京してから共に音楽評論家・大田黒元雄(1893-1979)のサロンに出入りしており、そこに堀内もいました。一方『丘の上』の作詞は慶應仏文科を出た詩人の青柳瑞穂(1899-1971)です。孫のピアニスト・青柳いずみこ氏は、祖父瑞穂が野村光一はじめ多くの芸術家たちと交友があったことを著書にまとめられ、さらに『丘の上』について次のように触れておられます。

…着道楽ではなかった瑞穂も夏の浴衣一枚ないありさまだったが、骨董買いだけは別である。瑞穂は昭和三年に慶応大学予科会からの依頼で『丘の上』というカレッジ・ソングを作詞したときも、七十円という礼金をもらいながら、家には入れず宋代の玳玻蓋天目の茶碗を買っている。
出典:青柳いずみこ『青柳瑞穂の生涯:真贋のあわいに』(新潮社、2000)p141

 なお菅原明朗作曲、青柳瑞穂詩の「白い姉の歌」という作品が、1931〜32年ころに創られています。編成は声とピアノで、春秋社から出版されています。