ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

菅原明朗と荻野綾子(3)

 菅原明朗評論集『マエストロの肖像』の中に、荻野綾子との仕事について書かれている箇所がありました。1930年11月の演奏会の半年前の記事です。

 『祭典物語』がフランスへ航海している自分に野村が私に新しい仕事を作ってくれた。荻野綾子氏のために歌を書けと言うのである。非常な興味を持った。『過近江古都時』を書いたが実をいうと荻野氏については半信半疑であった。同氏の芸術には絶対の信頼をおいていたけれども、はたして私の作品に全力をうちこんでくれるかどうかという点である。私はあまりに幾度か日本の音楽家に自分の作品を冷笑されて来た。しかも自覚しない自分の作品の欠点を指摘してくれるのは決してその人等ではなかったのである。私はまた、この不快な眼に会いたくなかったのである。全々予想をしなかった荻野氏の私の作品に対する厚意は続いて『韓藍花』と『漱石』を書く気になった。本誌に出ている『無題』はこの『漱石』の中の第二章である。ロベール・シュミッツに私の作品を見せたのは荻野氏で、私を紹介したのは野村と堀内である。シュミッツは私の作品の上演と出演と出版に対するめんどうを引受ける事と、私の作品を自分のレペルトアールに加える事と私のアンサンブルの上演には自分がピアノのパートを受け持つことをかたく約すると言ってくれた。武井、野村、堀内は私と十数年以上の交友である。荻野氏と私の近づきは一年にみたない。女史は作品を持って私をみとめてくれた最初の日本人である。おそらく作品を持って芸術家をもとめている唯一人の演奏家であるかも知れない。私は芸術家の価値は仕事によって定まるものと信じている。自分の尊敬する芸術家の実生活を私はなるべく知りたくないようにつとめている。それは作品に対する真の鑑賞に不純なものを混じるように思えるからである。

出典:「私の作品と私の日常生活」(『マエストロの肖像 : 菅原明朗評論集』(国立音楽大学附属図書館, 1998)p70(1930年6月『音楽世界』掲載)) http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20151221/1450675253
 文中にある「武井、野村、堀内」はそれぞれ、作曲家で指揮者の武井守成(1890-1949)、音楽評論家の野村光一(1895-1988)、作曲、作詞、評論の堀内敬三(1897-1983)の三氏で、10代のころから菅原明朗と交友がありました。
 ロベール・シュミッツ(Elie Robert Schmitz、1889-1949)はフランスのピアニストで、1930年に来日して帝劇で演奏会を開いた記録があります。

昭和5年(1930) 4月3日 ロベール・シュミッツ洋琴演奏会(4月6日まで)
東宝(株)帝国劇場『帝劇ワンダーランド : 帝国劇場開場100周年記念読本』(2011.01)年表〕
http://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=14950&query=%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%84

  • 『祭典物語』(A256)は菅原が1927年に作曲した管弦楽組曲で、1930年秋にパリのコンセール・コロンでピエルネ指揮で演奏されると伝えられています。
  • 『過近江古都時』(A314) は1930年作曲のソプラノとピアノの歌曲で、詞は柿本人麻呂
  • 『韓藍花』(A318 )も万葉集に詞をとった歌曲で、ピアノ伴奏を管弦楽に編曲した版が荻野綾子独唱で1933年に放送されています。
  • 『無題』(A317)は夏目漱石の詞による歌曲。

※曲名の後ろの番号は、作品目録の番号。
参考:菅原明朗と荻野綾子(1)改訂版http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20151223/1450847386