ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

菅原明朗と荻野綾子(1)改訂版

 作曲家菅原明朗(1897-1988)の年譜を見ていると、荻野綾子(1898-1944)の名前が何回もでてくるのがわかります。最初は1930年11月の「菅原明朗・伊藤昇作品発表会」でした。この年33歳の菅原は帝国音楽学校作曲科主任教授となり、4月には箕作秋吉らと「新興作曲家連盟」を立ち上げています。11月の演奏会についてN響ライブラリーのデータをご紹介します。

1930年11月3日(月)19:00 日比谷公会堂
菅原明朗指揮 管弦楽交響楽団
プログラム
 伊藤昇:マドロスの悲哀
 菅原明朗:セレナーデ
 菅原明朗:無題 (荻野綾子Sop)
 伊藤昇:騎兵 (荻野綾子Sop)
 伊藤昇:太陽の歌 (荻野綾子Sop)
 山田耕筰:芥子粉夫人:第1章 (荻野綾子Sop)
 菅原明朗:交響詩内燃機関


備考:「芥子粉夫人」以外は世界初演。法政大学世界経済研究所のために独唱と交響楽と舞踊の夕。プログラムによると、この他にピアノ伴奏による独唱曲で、荒城の月、蟹味噌、からたちの花、斑猫が歌われた。

出典:N響ホーム>N響ライブラリー>演奏会記録>1926年〜1930年
http://www.nhkso.or.jp/data/document/library/archive/kiroku1926_1930.pdf

  • 最初の伊藤昇(1903-1993)の作品は正しくはマドロスの悲哀への感覚』で、ニッポニカでは2005年に演奏しました。

 昭和九年の交響曲シリーズ<その1>(演奏会プログラム)
 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20100818/
 このプログラム冊子には、1930年11月3日の演奏会が法政大学経済学部主催「独唱と交響楽と舞踊の夕」かつ「荻野綾子渡欧特別演奏会」であったことが記されています。荻野綾子はこの年12月に、シベリア鉄道経由で2度目のパリへ向かいました。

  • 菅原の『セレナーデ』は、作品目録によると1928年作曲の『Serenade(小夜曲)』のようです。編成は2管で、楽譜は戦災で焼失、となっています。
  • 荻野が歌った菅原の歌曲『無題』は、作品目録によるとソプラノとピアノの曲になっていますので、管弦楽伴奏に編曲されたのでしょう。夏目漱石の詩で、原曲は春秋社から出版されています。
  • 伊藤昇の歌曲『騎兵』は、安西冬衛の詩に歌とトランペットと小太鼓の伴奏を付けた作品、『太陽の歌』は、『太陽に歌ふ』という指定音のみで歌詞を持たない作品と思われます(伊藤能矛留「私の作曲生活と作品」、『音楽倶楽部』3巻6号(1936年6月)より)。伊藤はピアノ曲三木露風の詩による<黄昏の単調>』が菅原に認められ、マンドリンオーケストラ用に編曲、その後オーケストラ用に編曲されたものがあり、ニッポニカでは2004年に演奏しています。伊藤のこれらの歌曲の楽譜は、東京芸術大学図書館に所蔵されています。
    『菅原明朗とその周辺 : オーケストラ・ニッポニカ第4回演奏会』(演奏会プログラム)
    http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20100621/1277120367
  • 山田耕筰の歌曲『芥子粒夫人』は「ポストマニ」と読み、北原白秋がインドの童話に想を得て創った詩に、山田が1924年作曲した作品です。全曲は30分にもなる大曲で4章からなり、この日は第1章だけが歌われました。1927年に舞踊の振付がされているので、この時も誰かが踊ったのかもしれません。
     参考:「出会い」 北原白秋山田耕筰 生誕百年によせて -譚詩歌曲 芥子粒夫人-
      http://jairo.nii.ac.jp/0496/00001007
  • 菅原明朗の内燃機関は3管編成の管弦楽曲です。1929年の作品ですが、楽譜は戦災で焼失しています。

■参考:ニッポニカ第24回演奏会プログラム(野平一郎・歌・フランス:歌手・荻野綾子の追憶に)
 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20131128/1385636394