武満徹『ソリチュード・ソノール』は、黛敏郎『涅槃交響曲』(Symphony Nirvana)を聴いて感動をうけ、作曲を思い立ったそうです。黛が梵鐘への愛着を示しているのに対し、武満は次のように言っています。
そうだ、私にとって重要なのは、その梵鐘の響きを超えた、すでに言葉によっては説明できないものなのだ。
<ニルヴァーナ>にあって重要だったのは、黛氏がカンパノロジー・エフェクトと称ぶ梵鐘の響きが、日常にあるものではない空間と時間を獲得したということにあるのだ。そして、それは作曲家の指し示す方向に向かって運動を続けて行く。もはや、鐘の音などどうでもよかったのだ。
そして、こう言いきることだけが、梵鐘という自然――そう呼んでさしつかえないだろう――に対して人間がとる最も敬虔な態度であるだろう。
私は、オリヴィエ・メシアンが鳥の声について語った時にも、そのように感じていた。メシアンが既に語った言葉に
自然を卑屈にひきうつす事は愚かしい
このような意味の言葉があったことを憶えている。
出典:武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』(新潮社、1971)p61
また、小澤征爾との対話では次のように語っています。
小澤:武満さんとメシアンの関係はどういうの。
武満:僕の『カトレーン』という曲ね、あれはメシアンの『世の終わりのための四重奏曲』の編成を借りて書いたものです。作曲にはいる前にニューヨークで二時間ほどタッシの連中と、あの四重奏曲のレッスンを受けたんです。
小澤:最近、タッシとボストンで録音したやつね。
武満:そう、メシアン先生に、この編成で書かせていただきますって言ったら、ぜひ書きなさいって……。
それからね、たぶん僕はメシアンを日本に紹介した最初の人間ですよ。初めて僕らのグループ実験工房で室内楽のいくつかを初演したんです。
小澤:N響で僕がメシアンの『トゥーランガリラ交響曲』を初演指揮した。それ以来、おかげで、おれは苦労している(笑)
1952年1月第2回 女子学院講堂
メシアン「前奏曲集」
メシアン「世の終わりのための四重奏曲」
バルトーク「ピアノ奏鳴曲」他
出典:『日本の作曲1959』(音楽之友社、1959)p67 http://d.hatena.ne.jp/nipponica-vla3/20150223/1424670857