ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカのビオラ弾きのブログです

第20回演奏会評(2)

 折田義正さんの続きです。その1はこちら

山田和男没後20年オーケストラ・ニッポニカ公演の感想(その2)
                               折田義正
5 おおむたから
有名な曲を始めて聴くことになる。先生はマーラーの第6、第3交響曲をプリングスハイムの指揮でオケの一員として演奏されているが、第5交響曲を聴かれた印象が強かったのだろう。声明と組み合わせるという先生らしい奇抜なアイディアである。これに「おおむたから」というわけのわからない曲名をつけたことも先生らしい。この曲が作曲された頃、私は杉並区西荻窪に住み、高井戸第4国民学校3年生として在学し、学校が焼夷弾で焼失し、桃井第3国民学校に転校したものの通学中機銃掃射に会い、広島県の北部に疎開した。曲は全くその時代を反映したものと感じられた。この曲は昭和20年1月1日に全国放送されているが、わが国の上層部は、ソ連と異なり音楽に詳しい者は居なかったのだろう。良く分かる者が居たら取り調べられているところだ。しかし、当時マーラーの第5交響曲を知る者はほとんどなかったのではないか。先生はRシトラウス、ラヴェルストラヴィンスキーバルトーク等と遊び、マーラーに到った。マーラーの世界は実に巨大であり、先生はこれに呑みこまれた。これ以上進もうとすれば、シェーンベルグ等の12音音楽に入らなければならないが、当時、これは日本で知られておらず、知ったとしても、先生の好みに合わなかっただろう。先生はこれで本格的作曲に打ち止めせざるを得なかった。演奏は大変良かった。


6 交響的木曾
少し脱線するが、去る10月のエリシュカ指揮大阪フィル定期スメタナ「わが祖国」で、一番感銘を受けたのは「タボール」で、フス派のコラールを巧みに用いて作曲したことに感心した。日本にもこのような作曲家は居ないのかと思ったものだ。交響的木曾はその意味で小生を満足させた。また、脱線であるが、先日NHK−FMで、NHK浜松ライブラリー所蔵の先生指揮伊福部昭「交響譚詩」(当時の東京響=今の東京フィル)の昭和18年録音のSPレコードが放送された(第一部のみ)。終わり近くが、民俗的、お祭り的なリズムで演奏されていて、驚いた(これは片山杜秀氏もどこかに書いていた)。この独特のリズムは、昭和36年の小生が愛聴したLPの演奏には聴かれない。時代の推移で、楽団員のリズム感も変わってしまったのだろうか。先生はどこでこの民俗的リズムを会得されたのか不思議に思い続けてきたが、この曲の第1部の作曲に際して、勉強されたのではないかと理解できた。第2部は言うまでもなく大変力作だった。先生は大変入念に準備して作曲されていると感じた。演奏も良かった。音楽は良く分からないという妻も、もう一度聴きたいと言っている。外山雄三の「ラプソディー」は接続曲で外国人には分かり易いだろうが、曲はこちらがはるかに上である。


以上拙い感想を述べた。このような良い演奏はプロ楽団には求められない。定期を除いては、1日の練習で演奏会をやるからだ。知的レヴェルの揃ったアマチュアが十分練習して、演奏会に臨むというもので、大変感じのよいコンサートだった。演奏は、特に弦がよく、高木和弘氏(氏に面識はないが、大阪府立北野高校卒で、私の後輩、大阪では有名)のリードにもよるのだろう。このように一部プロも応援しているのだろうが(プログラムに印はつけておくべきだろう)、良い演奏で録音採り直しがなかったことは当然である。山田先生がわが国音楽界における高い連峰の一つであることが再確認できた。各メンバーの努力・尽力に感謝したい。
時間が経過して記載したため、楽器のやりとり、歌詞と曲との関係等の細かいところを忘れてしまい、大変概論的感想に終わったことはお許しいただきたい。
オーケストラ ニッポニカのますますの発展を祈る。
(2012年1月2日)